2011年3月11日は、多くの日本人の記憶に刻まれる日となるだろう。東日本を大混乱に陥れた大震災に見舞われて以降、日本はそれ以前と比べて大きく変わった。以前は、テレビでも与野党のごたごたや芸能人の言動などが面白おかしく取り上げられていたが、その日以降、震災関連の番組やニュースが数多く放映されている。 日本人の特徴は、多くの日本文化や日本人論を扱った書籍から見ることができる。しかし、今回のような震災に対して効果的な“特長”は、日本人を客観的に見ることができる海外からの報道・評価から見出すことができるのはないか。 このような日本人の特長を表す言葉に「和」がある。普段、何気なく「和」という字を使用しているが、その字の意味するところは『論語』に収録されている孔子の言葉に表れている。 これからの復興に向けては、直接の震災地はもちろん、間接的に震災の影響を受ける地域の多くの人の協力が不可欠になる。復興の為に、自分は何ができるか、何を成すべきかを一人ひとりが主体的に考え、実践することが、その第一歩になる。それらが大きな力となれば、日本の近代史における明治維新・戦後復興に続く、世界が驚く三度目の奇跡を引き起こせるはずである。 日本がかつて成し遂げた明治維新・戦後復興は、他の国々、特に同じアジアの国々から驚嘆されている。明治維新では、多くのアジア諸国が欧米列強に植民地化される中で近代化を達成して国を守り列強の仲間入りを果たしたこと、戦後復興では戦争に敗れたものの数年で国際社会に復帰し、経済成長時代を経て世界有数の経済大国にのし上がったことに対しての驚嘆である。多くのアジアの国々が、欧米列強からの圧力に対抗するために多くの改革を進めた中で、日本だけが明治維新として成功を収めることができた。また、戦後の混乱の中でも、朝鮮戦争という特需にきちんと対応して、他国の支援は得ずとも復興に結びつけることできた。これは共に、困難な状況を共有した日本国民が、「維新」「復興」という共通の目標のもとに、一人ひとりが何ができるかを考え、行動した結果に違いない。まさに「和の心」を発揮した好事例ではないだろうか。 ホームタウン
この未曽有の大震災の被害の全貌は、一カ月近くたった今でも明らかになっていない。また、東京電力の福島第一原子力発電所で発生した事故においては、4月4日現在でも全貌が明らかになっていないばかりか、収束の目途が立っていない。一部では、最終的な収束には数十年を要するとの見通しもあり、それらに要するコストや要員、また、立ちはだかる問題の多さ、大きさを考えると、収束までの間には多くの困難が待ち受けていることが想像される。
東日本地域においては、直接的な被害を受けた地域はもちろん、計画停電等により間接的な影響を受けた地域も含めると、広大な範囲で震災の影響を受けており、この状態からの復旧・復興には、政官民が一体となった対応が必要とされる。このような国難とも言える事態に際して、我々日本人はどのように立ち向かえばいいのだろうか。義援金の提供やボランティアへの参加など、その形はいろいろある。しかし、今回は相当の長期戦である。こういった時にこそ、日本人が持つ“特長”を活かした対応を取ることが、効果的かつ継続的な取り組みに繋がるのではないだろうか。
被災地や被災者の状況を伝えた海外メディアの記事で、総じて驚きの視点で報じられていることがある。それは、甚大な被害を受けながらも、人々が少しも節度を失わず、むしろ弱者をいたわり助け合っている姿である。避難所では怒号は聞かれず、また、けんか等のトラブルも起きず、静かに配給を待つ人々がいる。震災当日に多くの帰宅難民が溢れた都内の主要ターミナル駅には、歩行者の通路を妨げないような列が自然とできた。多くの国では、このような災害に見舞われると、商店襲撃などの群衆の混乱した行動が見受けられる。昨年の1月に起きた中米ハイチ地震では、商店やスーパーから勝手に商品を持ち出す群衆の姿があった。また、2005年8月にハリケーン・カトリーナに襲われたアメリカのルイジアナ州では、群衆が店のドアを打ち壊し、液晶テレビ等の家電製品だけでなく、バスケットボール練習台まで盗み出した。そもそも、地域の治安を維持すべき警察官までも犯罪に加担し、様々な犯罪が生まれたという。
また、海外のメディアが注目しているもう一つの現象がある。それは、日本では被災地であからさまな便乗値上げをするようなことが横行しないことだ。食料品や石油等が震災前と変わらない価格で売られている。また、購入する人々も、店の前に何時間でも列をなして待っている。カトリーナの被害にあったフロリダ州では、被災者の窮状に業者がつけこみ、ホテルの宿泊料はたちまち4倍に、発電機の価格は8倍に跳ね上がり、倒木処理費が200万円に高騰したということだ。
このような、「震災に見舞われても自制心をゆるめずに、結束して困難に立ち向かう」ことができるのは、日本人の“特長”だと言えるだろう。実際に、東京電力・東北電力管内で震災後に電力不足が報じられると、「ヤシマ作戦」という人気アニメーションの1シーンをモチーフにした節電の取り組みが一気に浸透した。また、食糧や日常品の買い占め問題がフォーカスされると、人気タレントのギャグをモチーフとした譲り合いを推奨する「ウエシマ作戦」が唱えられた。このような言動を取れることが、他の国と比べたときの、日本人が持つ国民性の大きな強みになるはずである。
※[prayforjapan.jp] 地震発生後、インターネットに投稿された心温まるつぶやき( http://prayforjapan.jp/message/)も是非ご参照ください。
「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」
孔子は「和」を、自身の主体性を持ちながらも他者と協調する事、と説明をしている。一方で「同」を、主体性を持たずに他者に安易に同調する事とし、君子(リーダー・人格者等)と小人(器の小さい人等)を明確に区別している。
つまりは、「和」の神髄は、「一人ひとりが主体性を持った上で他者のためにもなることを行なうこと」にある。災害に見舞われた時に、一人ひとりが「今何をすべきか?」と、主体性を持ち、周囲の為になるような行動を取ったことが、海外からの称賛に繋がったと言える。
この度の大震災からの東日本の復興は、まさにこの我々が持つ「和の心」を体現する時だ。今まであったものをもと通りにするのではただの復旧である。少なくとも、21世紀のキーワードである「エコ」「地球との共生」等の付加価値を付けた街に復興させることが求められる。この度の震災時の日本人の対応は、改めて日本人には「和の心」が備わっている事を証明できた。実際に、電力不足に対しても一人ひとりの節電により、いとも簡単に6月までの計画停電を回避することに成功した。また、自衛隊や警官が被災地に赴くことで首都圏の治安を守る人員が通常よりも少ないにも関わらず、それに便乗した犯罪が起きたというニュースはほとんど聞かない。震災時の担当により、図らずも、世界一省エネで安全な街を生み出したと言えるだろう。
日本人のDNAに刻まれた「和の心」が、近年に蔓延っていた「自分さえよければいい」という考えを封印し、元々の日本を取り戻すきっかけになったのではないだろうか。冷戦下では資本主義と社会主義という二大社会システムが対立していたが、ベルリンの壁崩壊により、世界のトレンドは資本主義へと寄って行った。行き過ぎた資本主義への傾倒が「自分さえよければいい」という考えを生み出し、それが争いや対立に繋がっていたとしたら、それを克服することができる「和の心」をベースとした社会システムを日本発で生み出すことができれば、世界の争いや対立を激減させることができるかもしれない。それこそが、世界からの三度目の驚嘆、三度目の奇跡になるのかもしれない。21世紀・22世紀の世界のスタンダードとなるような、例えば「エネルギーを利用せずに快適に暮らすことができる真のエコタウン」、「災害や犯罪から人々を守る安心安全な街」といったコンセプトを生み出し、実現し、また世界を驚嘆させてやろうではないか。
「日本は強い国。日本の力を、信じてる。」
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