2011年5月26日、協和発酵キリン株式会社(以下、協和発酵キリン)が「抗体医薬」について、消費者が学習できるWebサイト「THUNDERBIRDS Lab.(サンダーバードラボ)」を開設した。「抗体医薬」とは、異物を排除するヒトの免疫機能を応用した医薬で、従来の医薬品と比べて研究開発費や生産コストが高いという課題はあるものの、標的の異物にだけ作用して正常な細胞を傷つけないため副作用が少ないといった特徴を持ち、高い薬効と安全性が期待されている医薬である。同サイトは、より多くの消費者に、化学合成によって作られる従来の医薬品と比べた「抗体医薬」の良さを学習してもらいながら、協和発酵キリンを好きになってもらおう、というのが狙いだ。
「抗体医薬」に対する市場の期待は高く、ここ数年の間に日本国内の「抗体医薬」市場は急激に成長し、2007年で800億円だったものが、2010年では1700億円まで成長している。さらに10年後には7000億円にまで拡大する見通しで、医薬品市場全体の約10%を占めることが見込まれている。また、世界全体で見ても、2007年度時点で前年度比33.3%増となる約3兆円規模になるなど、かなりの成長拡大が見込める市場である。この将来性のある「抗体医薬」市場を巡り、海外の大手製薬企業は「抗体医薬」に関する高い開発力を持ったバイオベンチャー企業との事業提携やM&A戦略を積極的に展開している。海外の製薬企業に遅れを取ったものの日本の製薬企業も、「抗体医薬」に関する高い開発力を持ったバイオベンチャー企業に対するM&A戦略を展開し、また海外に研究会社を設立して優秀な研究者を集めるなど、世界市場への参入を目指し積極的な事業戦略を展開している。日本の製薬企業は、まだ「抗体医薬」市場に対して進出したばかりであり、海外の大手製薬企業の脅威となるには、もっと競争力が必要になる。この競争力の源泉の一つが「抗体医薬」などの新薬の研究開発を行う力である。
ところが、この製薬企業の研究開発の力に関して海外企業と日本企業を比較してみると、純粋な研究に関する技術力のみであれば埋められないほどの大きな差はないかもしれないが、研究開発に掛ける投資や研究開発に掛かる費用には、大きな差が出ている。日本、米国、欧州における、製薬企業の研究開発費の推移を見て見ると、1995年で日本が3800万€、米国が6600万€、欧州が8300万€、2005年で日本が5500万€、米国が1億8000万€、欧州が1億5700万€ と、総額と伸び率の両方で大きな差がある。製薬企業の研究開発費の総額は、企業自体の規模の差もあり一概に比べられないが、伸び率については、1995年~2005年の10年間で日本が約1.45倍であるのに対し、米国が約2.73倍、欧州が1.89倍と開きがあり、企業の新薬などの研究開発に投資する姿勢の違いが伺える。
さらに注目すべき点が、研究開発中に掛かる治験の費用である。医薬品の研究開発に絶対に必要となるのが「治験」であるが、この治験費用が海外に比べて日本は高い。1症例あたりの治験費用を、欧州を1とすると、米国が1.25、日本が2.25と倍以上かかる。治験費用が高くなるのは、日本では、欧米と比べて一つの医療機関あたりの登録患者数が少ないため、必要な治験者数を確保する為により多くの医療機関で治験が必要になり、その結果複数の医療機関と契約を結ばざるを得ないことが原因だ。また、複数の医療機関で治験をする為に時間も掛かり、治験完了まで米国が6年程度であるのに対し、日本では7年程度と約1年の遅れを取っており、ほとんど周回遅れのような状況にある。この約1年の差は、販売機会の損失に直結する大きな問題であり、これが新薬の研究開発への投資を鈍らせている要因にもなっている。
また、治験をより効率的に行う為に世界で進められているものに、国際共同治験がある。これは欧米やアジアなどにおいて同一の評価項目、適応症などで実施される治験で、治験者を短期間で確保しやすく、より低い費用負担で実施できるメリットがある。かつ、他国でも治験を実施してデータを集めることで、その国の承認を得て新薬を上市させやすくなることも期待できる。ところが、この国際共同治験の実施件数をみると、2006年の米国の国際共同治験の実施件数が約250件であるのに対し、日本は10件未満と非常に少なく、国際共同治験という仕組みを活用できていない。日本で国際共同治験の活用が進まないのは、海外の治験データの採用基準が明確になっていないことや、治験において日本独自の要求項目があり、国際共同治験と共通化できない点があることが理由にある。
改めて日本の医薬品開発の現状を見ると、研究開発を効率的に行うための仕組みやルールといった治験インフラが整っていないことがよく分かる。日本の医薬産業が、国際競争力を付けていく為には、海外治験データの採用基準や日本独自の要求項目への対応をどうするかといったルール作りや、そもそも国内における治験者数の増加や治験を実施する全ての医療機関をつなぎ治験データを蓄積・共有できるようなITインフラの構築といった、治験インフラを整えることが必須だ。今のままでは日本製新薬は海外製新薬から周回遅れで引き離され続け、日本の医薬開発は産業として衰退していくに違いない。
しかし、これだけのことを企業だけで行うことは難しく、医療機関を巻き込まなければならないし、何より日本全体で共通の治験インフラを構築する為には、政府が産業界・医療業界をリードしていくことが必要になる。治験インフラの構築は、将来の国民医療の充実と産業の成長拡大の為に関わることでもあり、政府が積極的に関与することを期待したいが、企業や国民が政府に一方的に期待するだけでは事は進まない。そこで、いま世界全体で市場が成長拡大し産業としても将来性があり、国民医療にとっても薬効が期待される「抗体新薬」の開発環境を整えることをきっかけに、「抗体医薬」の研究開発を進めたい製薬企業と「抗体医薬」を必要とする国民の方から、政府に対して治験インフラの整備を行うよう促していくべきだ。その為には、まず製薬企業は政府に対するロビー活動を展開することが必要になる。これは、今までも行われてきたことだろう。これに加えて、製薬企業がすべきことは、「抗体医薬」のメリットを国民に知らしめて需要を喚起しながら、「抗体医薬」の普及を望むという世論を醸成し、国民と一緒に今こそ治験インフラの整備が必要だと政府に働きかけることである。医薬品の世界のように最先端の技術を市場に還元しようという企業は、関係機関を巻き込む活動とともに、最先端の技術がもたらしてくれる恩恵を世に知らしめて需要を生みだし、普及を手伝ってくれる市場を育てていく必要がある。
これを実践する上で、冒頭に紹介した協和発酵キリンの「THUNDERBIRDS Lab.」は、非常に興味深い取り組みだ。同サイトは、中高年のみなさんには懐かしい米国の特撮アニメ「サンダーバード」のキャラクターが、「抗体医薬」についてレッスンをしてくれる。そして、レッスンの最後のテストに合格するとサンダーバードの隊員証を得られるといった遊び心もある。また同サイトには、TwitterやFacebook、またYou
Tubeなどとも連携しており、絶えず最先端の医療情報や「抗体医薬」の情報がソーシャルネットワークを通して市場に発信されて続けている。今後、こうした取り組みを継続することは、社会に影響を与え「抗体医薬」の需要を生みだし普及を手伝ってくれる市場を作り出すことに繋がっていくことだろう。そして、これが日本製「抗体医薬」が周回遅れから抜け出し、海外製「抗体医薬」に追いつくための第一歩になるはずだ。
特設Webサイトやソーシャルネットワークを活用した活動で成果を得るためには、まだ時間がかかり、改善も必要になることと思うが、是非発展的に継続し、最終的に日本の医薬品産業の発展と将来の国民医療の充実にまで繋がることを期待したい。
ヘッジホッグ
PMIコンサルティングでは、企業の人と組織を含めた様々な経営課題全般、求人に関してのご相談やお問合わせに対応させていただきます。下記のフォームから、またはお電話にてご相談を承っております。お気軽にお問い合わせください。