未曾有の被害をもたらした東日本大震災が発生してから、早いもので半年が経過した。東京都内に住んでいると、今夏の電力不足も乗り切って電力制限が解除された今、交通機関も通常ダイヤに戻り、駅のエスカレーターなども動きだすなど、不便さを感じない日常生活に戻ってきている。テレビや新聞で流れてくるニュースも、原発問題がもっぱらで、政府・東京電力の責任問題、放射能汚染への対策、電力の安定供給に向けた課題といった話題が多く、被災地の映像を見ることが以前よりも少なくなってきている。一時期、街でたくさん見かけた復興支援の募金活動や物資の募集も少なくなった。むしろ、復興に向けた活動が進みつつあるという、明るい話題を見聞きすることが増えてきたような気もする。だが、現地では本当に復興が進んでいるのだろうか。被災地の一つとなった宮城県は、かつて住んでいたことがあり、今でも友人たちやお世話になった先生が住んでいる。自分自身にとっても、思い出も愛着もあるところで、震災以降どうなっているのかと、ずっと気にしていた。被災地の友人たちとは連絡を取り合い、幸いにも皆の無事を確認することができ、定期的に連絡を取っては、必要なものがあればこちらから送るなどしてきた。だが、夏前あたりからは、現地でも一通りの買い物が出来るようになったということで、遠慮もあってこちらから連絡することや直接足を運んで会うことは控えていた。しかし、半年が経ち、少しは落ち着いたという連絡をもらったので、先日友人や恩師に会いに宮城県を訪れた。
最初に訪れた仙台駅周辺は、買い物を楽しむ人や観光客らしき外国人も見かけるなど、震災があったことを感じさせないような雰囲気があった。だが、ホテルに向かうと、宿泊客の大半は県外から応援にきているビジネスマンやボランティアのグループで、そこには活気があるものの明らかに日常とは異なるだろう風景があり、安心と不安が混ざった不思議な思いで、それを眺めていた。
仙台では、まず恩師に会った。もう20年以上会っていなかったので、お互いの姿が変わっていることに驚きながら、お互いの無事を喜び、昔話をしながら近況を報告しあった。お話を伺うと、先生自身やご家族は全員無事だったものの、石巻で働いているお子さんのご自宅が津波の被害に遭われていた。幸い、お子さんには怪我もなく、被害にあったご自宅は、津波で浸水したものの何とか住める状態ではあるため、今もそこで生活されているということだった。というのも、新たな家を探すにも空き家が見つからず、そもそも今は勤務先で復旧作業に携わっており家を探すような時間もない。ということだった。お子さんの同僚も皆同じで、それぞれが被害に遭っていながらも、まずは復旧の為に自分たちが出来ることを優先しながら生活している状況だそうだ。
その後、宮城県内に住む友人たちにも会いに出かけたが、彼らも同じように自宅や職場が地震・津波の被害に遭っており、震災後は復旧作業が中心で、半年経ってようやく自宅に必要なものが全て揃った、職場で以前と同じ仕事ができる準備が整ったと、皆が同じように話していた。友人たちは明るく元気で、笑いながら色々な話をしてくれたが、半年かけて生活・仕事の準備を整えるまでには、相当の忍耐や苦労があったに違いない。それをやりきった友人たちには、本当に頭が下がる。皆に聞けば、このような境遇にある人は多く、復興の為に働いている人々は皆被災者でもあるということを改めて理解した。友人たちに、何か足りないものはないか、と聞いたところ、復興を支える担い手としての彼らに対しては、県外の本社や支店から応援が来たり、物資が届いたりするようになり、だいぶ支援を受けられるようになったということだった。だが、被災地に住む被災者としての彼らに対しては、まだまだ充分な支援が行き届いてはいないという。例えば、震災直後のように余震でライフラインが止まるようなことはなくなったが、いつまた大きな余震が起きてライフラインが止まるとも限らない不安がつきまとう。交通インフラも幹線部分は復旧しているが、周辺部は十分ではなく、現地の人が今まで通りの生活ができるまでには至っていない。もちろん、被災地の人たちも、その不便さが仕方の無いことだと頭では分かってはいるが、そういった1つ1つことがストレスとなって蓄積されている。また、復旧が進んでいく一方で、他の災害対策が充分に施されてはいないことにも、不安を感じている。実際、訪れたのは台風15号が通過した直後で、住宅の浸水や道路の冠水など新たな被害が出ている状況だった。こうした状況に備えて、被災地の人たちが自主的に備えようにも、友人たちを見ていると、ようやく半年かけて生活を元に戻しつつある状況で、次に何かあった時に備えて物資を用意し蓄えておくまでの余力は、まだなかった。
被害が甚大だった地域を除けば、ライフラインの停止や物資の不足もなく、一見すると日常に戻りつつあり、現地の人々も元気になっているように見える。しかし、その雰囲気は人々の前向きな気持ちで保たれているもので、決して余裕やゆとりがあるわけではなく、何かの拍子で崩れてしまいそうな、まだどこか張り詰めた空気の中にあるのだと、現地に行って実感した。
今回、友人たちと会いながら、宮城県内を県南部の名取市から北部の南三陸町まで、沿岸部を訪れた。震災直後、ニュースなどで見た瓦礫はだいぶ片付けられており、腰の高さほどの草が生えているところも多かった。まるで、昔から原っぱだったようにさえ見える。だが、車に戻りカーナビをみると、間違いなくそこは住宅街であることを示していた。ある場所に行くと砂利の山があり、そこに友人と登って下に広がる町を見ながら話をしていた。何となく登った場所だったのだが、暫くして、そこがかつては駅のホームだったことに気がついた時、こんなにも元の姿が分からなくなってしまうものなのかと愕然とした。だが、自分たちが、愕然としている周囲では、黙々と瓦礫を片付けたり、住民のために仮設店舗で商店や病院を開いたりしている人たちがいた。そうした人たちも皆、自分たちも被災者でありながら、自ら復興の為にと働いている人々なのだ。
被災地から離れたところから見ていると、復興を支えている人々と被災者を別人のように捉えてしまうことがあるが、彼らは間違いなく同一人物だ。被災地の復興は、そこに住む人々にとって必要不可欠なことであり、その為の支援を惜しむわけにはいかない。だからと言って、復興を支えている彼らの姿だけを見て、被災者としての彼らを見過ごすことになってはいけない。今、復興を支えている姿と被災者としての姿の両方を捉え、継続的に支援していくことが何よりも必要だということを痛感している。
ヘッジホッグ
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