2020年から日経新聞のキャンペーンが始まって以来、ジョブ型人事制度の導入論議がかまびすしい。戦後の日本の人事トレンドを鳥瞰すると三度目のムーブメントだが、今度こそ普及するのだろうか。
日本では十年に一度のペースで人事制度改革のムーブメントが起きる。古くは50年代の職務主義(今でいうジョブ型)、60年代の目標管理、70年代の能力主義、80年代の職能資格制度だ。
50年代から60年代にかけてのムーブメントは米国の影響を受けたものだが、70年代から80年代にかけてのそれは、どちらかと言えばガラパゴス的な進化だったように思える。折しも「ジャパン アズ ナンバーワン:アメリカへの教訓」がベストセラーになり、経済の黄金期を謳歌する日本企業は自信に満ちていた。
ところが90年代になるとバブル経済が崩壊して景色は一変する。多くの日本企業が構造的なコストダウンを迫られていたことを背景に、成果主義と職務主義(二度目のムーブメント)への移行が加速した。米国を範として年功序列と終身雇用が徹底的に叩かれていた記憶がある。結果はどうだったか。成果主義は自部門の成果しか考えないぎすぎすとした縦割り体質だけを残し、職務主義はジョブディスクリプションづくりに疲弊した記憶だけを残した。
2000年代になると成果主義が挫折した反省からか、成果を創出するための行動のあり方に着目したコンピテンシー理論が流行する。今も多くの企業に行動評価基準書なるものが残されているが有効に機能している事例は見たことがない。人事部はきめ細やかな基準書をつくったが、現場ではきめ細やかに社員の行動を観察することなどできなかった。この頃には等級制度のブロードバンド化も流行した。10段階くらいあった等級を4~5段階に大括り化しようというもので、これもまた米国を範としたものだった。賃金管理が簡易になり賃金のメリハリもつけやすくなるというのが当時の謳い文句だった。米国の職務等級は多いものだと30段階を超えるものもあり、運用も保守も煩雑になるためブロードバンド化したいと考えるのも納得できる。因みに、最近典型的なジョブ型を導入したある大企業は組織の階層が異常なほどに増えていた。あれでは責任の所在も分からなくなるのではないか。日本の等級概念は、等級ごとに着実にステップアップさせるための育成を主眼としてつくり込まれたものだったが、当時ブロードバンド化に踏み切った日本企業は、それを放棄していたことにあまり気付いていなかったようだ。
2010年代はリーマンショックから抜け出すのに懸命だったせいか、人事制度の見直しにまで経営者の目は向かなかった。代わって就業環境に関する様々な概念が輸入された。例えば働き方改革やダイバーシティだ。SDGsやESGにも注目が集まった。これらは人事関連諸制度に少なからず影響を及ぼした。
このように何度も見直しが繰り返されてきた日本の人事制度だが、年功序列と終身雇用(最近ではメンバーシップ型と呼ばれている)は根強く残った。そして今回のジョブ型人事制度のムーブメントである。以前のように職務主義とは呼ばずジョブ型と名前をつけ直して新しさを強調している(?)が、やろうとしていることに変わりはない。
度々日本が範としてきた米国の人事制度だが、昔から職務給制度が根底にあり、今もそうだ。それでも日本と同様に何度も根本的な見直しが行われてきた。
70年代には職務給制度がもたらした官僚化を問題視(ジョブディスクリプションに書かれていないことはやらないということを問題視したらしい)して成果主義に舵を切る。
80年代になると今度は行き過ぎた成果主義(アウトプット主義とも言われていた)による社員の疲弊を問題視して社員の学習を重視する方向(インプット主義とも言われていた)に舵を切り、70年代から研究されてきたコンピテンシー理論がクローズアップされる。なぜか日本では評価制度として普及したコンピテンシー理論だが、米国のそれは成果を創出するための思考と行動のあり方を研究して社員に還元する学習システムだった。
最近では優秀な人材の流出を問題視し、いかにしてリテンションするかが重要な課題となっており、日本企業のメンバーシップ型人事制度のように社員を人的資本としてとらえる経営思想が注目されている。90年代以降、日本企業が徹底して批判してきた概念だ。
このように日米の人事トレンドを時系列で比較すると、度々行われてきた日本の人事分野における脱・日本キャンペーンがチグハグしたものに思えてくる。
日本では二度も普及に失敗した職務主義だが、米国で職務給制度がスタンダードになっている理由が三つある。
一つ目は会社と社員の法的な雇用関係だ。米国では多くの場合、雇用は随意雇用と呼ばれる法の原則に基づいている。これは世界でも稀な雇用制度だ。企業は採用する際に事前の通告や理由の開示なく雇用関係を終了できることをオファーレターに明示するし、社員も自己都合でいつでも退社する権利があると記述されている。日本と異なり会社と社員はシビアな契約関係にある。そのため契約内容を明示するジョブディスクリプションも重視される。ジョブディスクリプションに何が書かれているかと言えば、職務の名称、業務の内容と目標、報酬、所属する部署、レポートライン、公正労働基準法に基づく規定免除の有無、求められる学歴、資格、スキル、その他の雇用条件、そして社員の署名となる。米国の人事部を訴訟対応のスペシャリストが占めているのはこのような背景があるからだ。
二つ目は人材の流動性だ。平均勤続年数を日米で比較すると日本の13.5年に対して米国では4.3年と短い。転職経験者を比較しても日本の5.8%に対して米国では38.2%と高い。米国ではジョブ・ツー・ジョブ・トランジションと呼ばれる失業を経由しない転職も活発だ。このように頻発に雇用契約が結び直される人材市場では、応募者一人ひとりの能力や人物を見るより、職務の内容で募集をかけ、人ではなく職務に報酬を支払う仕組み(ペイ・フォー・ジョブと呼ばれている)が効率的だ。中途採用に限れば日本も同様でほとんどが職務で募集をかけているが、採用した後の話は別だ。米国では日本のような総合職という雇用概念はなく新卒でも専門的なスキルを身につけてから就職するのが一般的で、企業は職務ごとに人材を募集し、職務内容に応じて雇用契約を結ぶ。当然のことながら大学での授業の内容も日本と異なっており、日本のような就活もない。
三つ目は人材市場のオープンさだ。米国における会社と社員の法的な雇用関係の特徴や流動性の高さを考えれば人材市場がオープンになるのも頷ける。仕事の内容も報酬もクローズドな日本の人材市場とは対照的で、日本企業のように自社だけのジョブディスクリプションをつくり込む必要もない。
いずれにせよ職務給制度を根幹とする米国の人事制度は特段の主義主張があってそうしたわけではなく、米国特有の環境に適応してきた結果だった。その意味で米国の人事制度は職務“主義”ではない。そのためここでは意図的に職務主義と職務給制度という表現を使い分けた。
長年日本の人事分野では職務主義という言葉を使ってきたが、これはいかにも日本的な言い回しだと思う。米国とは異なり日本は人事部に人事権が集中しており、人事部長のポストもエリートコースだ。多くの経営者は人事制度を重視する傾向にあるため主義という表現が馴染んでいたのだろう。しかし今回の日本におけるジョブ型人事制度のムーブメントには主義という表現が使われていない。新しさをアピールする以外に何か意味があるのだろうか。
日本でジョブ型人事制度を定着させるためにはどうすればよいだろうか。米国に倣うのであれば会社と社員の雇用関係を随意雇用に変えれば定着するかもしれない。そうすれば、長年批判してきたメンバーシップ型の人事制度を崩壊させることもできるし、不要な社員を解雇しやすくなるだろう。
ジョブディスクリプションも職務給も公開するなど人材市場をもっとオープンな環境に変えれば定着するかもしれない。そうすれば過去2回失敗した原因の筆頭に挙げられてきたジョブディスクリプションをつくり込む煩わしさから解放される可能性も増えるだろう。
大学の授業が即戦力の専門家を育てる方向に変わり、不思議な就活の慣習が変われば新卒採用も専門性を重視する職務雇用に変わるだろう。そうすれば定着するかもしれない。
だが、日本の環境はそのようにはなっていない。そうなる兆しすら感じられない。企業が率先してジョブ型に変えて行けば、環境の方も次第に変わって行くのだろうか。
そもそもなぜジョブ型なのだろう。改めてメディアの記事や専門家の論調を確かめてみた。
IT分野を中心に専門性の高い優秀な人材を確保する必要があるからと書いてあった。ジョブ型にすると専門性の高い優秀な人材を確保できるようになるらしい。
多様な働き方に対応する必要があるからと書いてあった。ジョブ型にすると多様な働き方に対応できるようになるらしい。
社員が保有するスキルと職場が求めるスキルを整合させた配置にすることで生産性を向上させる必要があるからと書いてあった。ジョブ型にするとそのような配置ができるようになるらしい。
新たな価値を創造するために社員の質を高める必要があり、自律的なキャリア形成を通して世間で通用するスキルを身につけさせる必要があるからと書いてあった。ジョブ型にすると社員は自律的にキャリア形成ができるようになるらしい。
経営環境の変化や脅威に対応するには多様な人材を擁し、新たなスキルを持つ人材を取り込み、社外との連携を積極的に推進する必要があるからと書いてあった。ジョブ型にすると多様な人材を確保できて、社外との連携も積極的にできるようになるらしい。
無理をして日本型の雇用を維持してきた結果、ブラック化、ガバナンスの欠如、マミートラック、処遇の不公平性など、社会的な問題が生じてしまったため、それらを是正する必要があるからと書いてあった。ジョブ型にするとそのような社会的な問題を払拭できるようになるらしい。
リモートワークが普及したため社員の仕事を見える化する必要があるからと書いてあった。ジョブ型にすると社員の仕事がよく見えるようになるらしい。
日本の伝統的な終身雇用や年功序列から脱却する必要があるからと書いてあった。ジョブ型にすると流動性が高まって実力に応じた序列が実現できるらしい。
本当にそうだろうか。どれもこれも論理破綻しているようにしか思えない。それなのに膨大なコストを投入してジョブディスクリプションづくりに勤しむ企業が増えている。本当に問題視すべきは論理破綻にも気付かずに流行に乗ってしまう人事部の方ではないだろうか。
一つだけ明言できることがある。ジョブ型の人事制度は数多ある手段の一つであって、目的化してはならない点だ。このことは主義という表現を伴わないことも案に示しているように思えるが考えすぎだろうか。しかし、既に全面的な導入を表明している企業の多くはジョブ型にすることを目的化して、やみくもにジョブディスクリプションの整備をしているようにも思える。
メディアの解説を見るとその論調は一様で、年功序列や終身雇用が日本企業の国際的な競争力を落としており、グローバル化が進む中でグローバルスタンダードになっているジョブ型に舵を切ったのだと説明されている。まるで魔法の杖のような扱いだ。因みにメディアの言う年功序列は本当の意味での年功序列ではなく年齢序列という解釈のようだが、ジョブ型にしなくても年齢序列を脱却することができている企業はたくさんあるし、ジョブ型に舵を切ったとされる名だたる企業が未だに年齢序列だったことの方に驚きを隠せない。また、ジョブ型にしなくてもグローバルな企業として世界で戦い確固たる地位を築いてきた企業も数多ある。それらの企業はもっと違うところに目を向けてきた。
一方で、メディアの言うジョブ型にする“必要性”だけに目を向けると、専門性の高い人材の確保であるとか、新たな価値の創造であるとか、確かにその通りで、どれも日本企業が取り組むべき重要な問題であることに間違いはない。ではそれらの問題をどのようにして解決して行けばよいだろうか。
IT分野を中心に専門性の高い優秀な人材を確保する必要があり、現状の人事制度にそのような人材を受け入れる仕組みがないのであれば、そのような人材専用の人事制度を加えればよい。管理職になれる社員となれない社員を分けるようなお為ごかしではない。本物の複線化だ。具体的には人材の市場価値に連動した職務給とメリハリある成果報酬を組み合わせた制度が有効だろう。また、そのような人材を受け入れるには人事制度より事業や組織のあり方が重要になる。事業の視点では本気で戦略的な投資をしないところに優れた人材は集まらないし、求められる成果責任に応じた権限を与えなければ活躍させることもままならない。専門性の高い人材が既存事業のカルチャーと馴染まないのなら、別会社にして投資をシフトさせればよい。
もう一つ重要な視点がある。これまでは昭和の産業分類をそのままにして既存の職務に対する整理学的なアプローチでジョブディスクリプションづくりをしてきた企業がほとんどだが、このようなアプローチをしてきた企業はことごとく失敗している。先ずは、新産業の創造を牽引するようなジョブをデザインするところから着手すべきだろう。そして、これからの成長分野を牽引するジョブにフォーカスしたTo-Beモデルのジョブディスクリプションをつくることだ。無論、そのような人材専用の人事制度にすることも忘れてはならない。
多様な働き方に対応するのであれば一元的にジョブ型にするのではなく人事制度も多元的に構築すべきだ。全ての人材を雇用する必要はなく人材市場との関わり方や契約形態も多元的にすればよい。このようなアプローチは、多様な人材を擁することも可能にし、新たなスキルを持つ人材を取り込むことも社外との連携を積極的に推進することも可能にする。マミートラックのような問題も解決することができるだろうし、何よりも社員の選択肢が増えることで自律的なキャリア形成の土壌ができる。
社員のスキルと職場のスキルニーズをマッチングさせたり自律的なキャリア形成を通して世間でも通用するスキルを身につけさせたりするのであれば、最新のHRテックを活用すればよい。因みに当社では社員が遂行すべきキータスクをクオリティデータ化して、自律的なキャリア開発や育成と連動した人事評価を実現するためのシステムを開発している。このシステムは社員のスキルと職場のスキルニーズをマッチングさせるのは勿論のこと、硬直化しがちなジョブディスクリプションではなく、ビジネスの実態に応じた可変的なアサインも可能にする。開発していて感じるのは、最新の技術を駆使すれば相当な問題が解決できることだ。リモートワークが常態化する中で課題とされてきた社員の仕事の見える化にも対応が可能だし、懸案のジョブディスクリプションを自動生成することだって不可能ではない。企業の生産性を阻害するブルシットジョブの撲滅にも貢献できるだろう。人事こそDXを加速させるべきではないだろうか。
新たな価値を創造するために社員の質を高めるのであれば、全社員の質を底上げできるという幻想を捨てることだ。先ずは社員の質を引き上げるトップランナーづくりが重要になる。新たな価値の創造に本当に貢献できそうな社員を選抜して徹底的に育成し、頭角を現した社員を重要なポストに抜擢するところから着手すればよいだろう。候補となるような社員が少ないのであればヘッドハンティングをすればよい。その場合、競争力のある条件提示が不可欠だ。続いて採用市場でのブランディングに投資することも必要になる。これまでと質の違う人材を採用できるようになった暁にはトップランナーづくりが効いてくる。
ブラック化やガバナンスの欠如のような社会的な問題に対処するのであれば、ジョブ型にする前にやらなければならないことが山ほどある。そのような問題の全てを日本型の雇用を維持してきた結果だと結論付ける経営者がいるとすれば論外で、先ずは経営陣を一掃すべきだろう。
日本の伝統的な終身雇用や年功序列から脱却したいのであれば、人的資本経営とは何だったのかから考え直すべきだろう。なぜならグローバルなアジェンダになりつつある人的資本経営は日本の企業が長年大切にしてきた概念であり、その概念を体現した仕組みこそが終身雇用や年功序列だったからだ。かつて日本の企業は社員をリソースともコストとも考えなかった。だから終身雇用だったのだ。雇用し続ける責任を正面から受け止めていたからこそ年齢を重ねるごとに着実により大きな功を上げられるように階層別の育成を重視してきたのだし、それこそが年功序列の本質だった。しかしこれらの概念はいつの間にか劣化して行った。
一方で経営環境は単純ではなくなった。終身雇用も年功序列もかつてのように一元的な仕組みのままでは機能しない。先に述べたように人事制度も複雑化する経営環境に適応させて多元化させた方がよいだろう。先ずはどのような人的資本経営を目指すのかを明らかにする。その上で、捨てるべきもの、新たに加えるべきもの、大切に保持すべきものを弁別する。流行に飛びつくのではなく、このような成熟した思考が求められる。弁別の対象となるのは人事制度だけではない。ビジネスモデル、マネジメントスタイル、マネジメントシステム、要員構成、資本政策などをそれぞれの連鎖構造も含めて見直す必要がある。
また、投資家に向けた人的資本経営のオープンな指標づくりにも取り組むべきだ。これは成長分野への直接的な人的資本投資と間接的な人的資本投資の視点、そして人的資本ROIの視点で考えると分かりやすいのではないか。例えば、成長分野への直接的な人的資本投資では、最新最先端のテクノロジーに対応できる従業員数もしくは従業員比率、及びそれらの伸長率なども投資家に対するアピールとしては有効だろう。成長分野への間接的な人的資本投資では、最新最先端のテクノロジーに関する社員一人当たりの育成投資額や最新最先端のテクノロジーに対応できる従業員の定着率なども考えられる。また、人的資本ROIの視点では、従業員一人当たりが創出する成長分野の付加価値額なども考えられる。いずれの場合も、最先端のテクノロジーなどを活用してどのようなビジネスを成長させるのかに関する総合的な投資と成長戦略の中に位置づけることが前提だ。
人的資本経営の本質は、新たな雇用を創出し、雇用した人材を育てて活性化することにあり、どのような雇用を創出して行くべきかを判断するための先見性と対応の迅速さも求められる。
さて、冒頭の論点に戻ろう。もし日本の企業に成熟した見識と先見性があれば、ジョブ型人事制度は部分的にしか普及しないだろう。
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