「君の名は」 2016年に公開された新海誠監督が手掛けた、夢の中で入れ替わる少年と少女を主人公に贈る青春SFファンタジー・アニメーション映画のタイトルだ。細かい描写は割愛するが、物語の終盤では、入れ替わった主人公の二人がそれぞれ元の身体に戻り5年の歳月が流れた先で、お互いに入れ替わったときの記憶を失いながら「なにかを忘れてしまった」という事実に胸を締めつけられる日々を過ごしていく。様々なすれ違いもある中でいざ感動の再会を果たしたときに「君の、名前は。。。」というセリフを二人が発してフィナーレを迎える、そんな物語だ。まさに名前というものがその人の存在を一意に象徴するものとなっており感動的なフィナーレを飾るセリフへとつながっている。
では、人はなぜ名前を持つのか。名前のもつ意味とは何なのであろうか。
現代では、名前は「親が名づけるもの」であり、「かけがえのないもの」という認識が一般的であると言える。であるからこそ冒頭の「君の名は」はその内容を表すタイトル足り得た。しかしながら、調べてみるとそのような認識が一般的になったのは現代に入ってからのことらしい。尾脇氏の著作である「氏名の誕生」という本に名前がもつ意味の変遷について詳述してあるが、その一節を下記に引用しよう。
~「人の名は生涯を通じて一つ」という状況は、改名禁止令以降、やむをえずそうなっていったものだが、
次第に「名前は親が想いを込めて決めたかけがえのないもの」という認識へと発展し、それが今や常識として
定着している。~中略~かつて「名」は江戸時代同様、その生まれた「家」のほか村や町など、所属する
社会集団とも密接な関係を持ち続けていた。先祖の「名」との関係が意識されたり、周囲に合わせた何三郎とか
何兵衛とかいう、集団の中で悪目立ちしない、人と同じような標準的な名前を用いるのが普通であり続けた。~
なかなか興味深い記述である。本書の中では、江戸時代にさかのぼって名前の歴史を追っているが、江戸時代においては「親が名づけるもの」でも「かけがえのないもの」でもなく、改名も適宜行われていたそうだ。親の名前を引き継ぐ(=いわゆる襲名する)ことで親がこれまで培ってきた信頼や実績を受け継ぐようなことも往々にして起きており、当時は名前が社会的な立場をも反映し、また「官位」と呼ばれるものと密接不可分な関係にあったようだ。しかしながら、その後明治維新がおき、明治5年1872年の改名禁止令によって、社会が個人を識別するための苗字として変更が禁止される形となって現代の認識に続いてきたとのことである。
ここまで見てみると、どうやら「名前」のもつ意義というのは、その時代の文化背景や共通観念の影響を受けているらしいことがよくわかる。江戸時代では、名前は一意に存在を象徴するものではなく、その人の置かれた社会的な立場を表現しているものであるとすると、映画の最後に「君の、名前は。。。」と聞かれたところで、感動的なシーンにはなりえていないのだろうと妄想すると少し面白おかしくも思えてくる。
ちなみに余談にはなるが、海外においても、名前の意味合いは様々あるようだ。分かり易い例でいうと、日本にはない考え方としてミドルネームというものがある。これは家系を表したり、洗礼名を表したり、中には尊敬している人物の名前を表していたりする。また、スペインや南米など、子供にパパとママの両方の苗字を付け2つ苗字が存在するような国もあるらしい。
では、名前がその時の社会背景・時代背景を受けて意味づけされていくものだとするならば、これからの時代、名前はどのような意味合いを持つようになるのだろうか。オンラインとオフラインが融合していく中で、SNS上の名前など、いわゆる戸籍上の名前以外にも様々な名前(ハンドルネームやインターネットネーム)を持っている人も多い。人々の生活がオンライン主体にシフトしていき、オフラインはその営みの中で位置付けられるような社会になる(もっと言えば、国などの社会集団のあり方もオンラインを軸に形成されるような世の中になる)とすると、オンライン上の様々なプラットフォームを行き来する存在として、自分の思想・嗜好・価値観に基づいて表現した名前を駆使しながら生活することが当たり前になる。そこにはオンラインプラットフォームごとに自分の名前を持つ(≒改名する)ことが当たり前になり、名前は「親が付けた、かけがえのないもの」という位置づけから少しずつ認識が離れ「本人の思想・嗜好・価値観を反映し、かつ複数持つもの」というのが共通認識化されるかもしれない。マイナンバーに象徴されるように、個人を一意に特定するのは数字の羅列のみになり、名前自体はファッション性が高まり、その年その年で違う名前を使い、自身の表現を見直すようなツールになるかもしれない。複数の世界を同時に行き来しながら生きていく、そのパスとしての存在意義を“名前”が持つものになる。そんな将来は飛躍した妄想なのかもしれないが、“名前”というアイデンティティの拠り所が親の愛情の発露ではなく、個人の表現力に委ねられてしまうような時代が来てしまうとすると少し奇妙な感覚を覚えてしまうのは今の時代を生きているからであろうか。
私自身の話で恐縮だが、そろそろ親になろうとしているということもあり、本稿を綴ってみた。名前が様々な変遷を経て、それ自体が持つ意義や意味合いが変わっていくとするならば、自分の子どもには、自己を表現するアイデンティティの根幹として自分自身で気に入ってくれるような名前を、愛情をこめてつけ、日々の中で育みたいと改めて思う次第である。
参考書籍|「氏名の誕生」 尾脇秀和・著
ハッピーホーム
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