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暗黙のルールに異を唱える

 2021年10月1日、全国初となるエスカレーターで立ち止まることを義務化する条例が、埼玉県で施行された。この条例は他の自治体にも広がり、2023年10月1日には名古屋市でも施行されている。背景としてはエスカレーターを歩くことによる事故・故障件数の増加が挙げられており、実際に本条例の施行以降、エスカレーターの事故や故障件数の削減に貢献し始めている。

 

 それほどに「エスカレーターを歩く」という姿は、多くの人が毎日の様に見受ける光景であると感じる。しかし、前提として、エスカレーターは歩くことを想定した設計になっていない。日本エレベーター協会によると、エスカレーターでは歩行禁止と明言しており、エスカレーター本体にも歩行禁止の表記がされている[1]。一方で、実態としてはエスカレーターを歩いて良いと言わんばかりに、片側を開けて乗る暗黙のルールが根付いている。なぜ本来の前提・ルールと実態に乖離が生じているのだろうか。

 

 歴史から紐解とくと、エスカレーターの起源は1859年まで遡る。アメリカ、マサチューセッツ州のネイサン・エイムズ氏の特許出願によって、エスカレーターの概念が生まれたことがきっかけとされている。その後、1896年にニューヨーク州のオールド・アイアン・ピアという建物に初めて設置された。日本においては、1914年に東京で開催された東京大正博覧会で初めて設置され、全国的に普及した。この時はアメリカや日本を問わず、当初の設計通りエスカレーターを歩く人はいなかった。

 

しかし、第2次世界大戦中のイギリスにて、混雑緩和を目的としてエスカレーターを歩く推奨がされはじめ、イギリス流のマナーとして根付いていった。これがエスカレーターを歩く起源とされている。日本では1967年、阪急電鉄の梅田駅が移転した際、建物の構造上エスカレーターが長くなったことで、駅員が急ぐ人のために「片側空け」を呼び掛けたのが最初とされている。そこから1980~90年代にかけ、東京で深い地下鉄駅が相次いで建設され、長距離のエスカレーターが増えたことから、全国的に「片側空け」が普及し始めた。各時代の変化に合わせて、生産性を求めた使用方法に変化した結果、本来の前提・ルールとは異なる暗黙のルールとして定着したのである。

 

一方で、本来の前提通り、歩いても問題がない設計ではなかったため、事故や故障件数が伸びていった。一般社団法人日本エレベーター協会の利用者災害報告によると、1993年から2014年にかけて事故件数は伸びており、片側開けが普及され始めた時期と一致している[2]。また、特に第6回調査(2003~04年)と第7回調査(2008年~09年)の件数を比較すると、2倍弱程度増えている。この背景として、2007年に日本でクロックスが普及・一大ブームを築き、樹脂製サンダルの巻き込み事故が多発した結果とされている。製品評価技術基盤機構の調査[3]によると、製品材質上の問題もあったが、エスカレーターの正しい乗り方(黄色い線の内側に乗る・歩かない 等)が出来ていないことも原因の一つとしている。当時はニュースにも取り上げられ、正しい乗り方に関する注意喚起が頻繁になされた。ニュースで発信されたことは、国民が正しい乗り方に立ち戻る良いきっかけであったと感じる。しかし、それでも根付いてしまった暗黙のルールは無くならず、安全性よりも歩くという生産性が優先されてきた。

 

 このように、人は自分自身が享受できるメリットのために、「暗黙のルール」を適用する。それがわずかな危険を伴うことを理解していても、大事になることは極めて少ない。その結果、「周りの人も歩いているから問題ない」「自分に限って事故は起きないだろう」という他責思考・他人事思考になり、リスクとして認識しない。これらの暗黙のルールが継続することで文化として根付き、一度根付いた以上、そう簡単になくなる事はない。今回のエスカレーター文化においても、当時の事故から本来の姿に戻すための条例が施行されるまでに14年かかっている。

 

 上記は国の事例であるが、企業においても、同様な問題が相次いでいる。昨今発覚した中古車販売大手BM社が起こした不祥事も該当する。本件の調査報告書によると、不祥事が発生・防止ができなかった理由として、以下が挙げられている[4]。

 

①     不合理な目標値設定

②     コーポレートガバナンスの機能不全とコンプライアンス意識の鈍麻

③     経営陣に盲従し、忖度する歪な企業風土

④     現場の声を拾い上げようとする意識の欠如

⑤     人材の育成不足

 

各々が複合的に絡み合って起きた事例であるが、本件に関しても自身が享受できるメリット(成功した時の報酬、失敗した時の降格・叱責からの逃避 等)を優先していたのではないだろうか。故に「周りもやっているから問題ない」「自分に限ってバレないだろう」という思考に至り、本来重要であるコンプライアンス意識を置き去りにするような文化が形成・定着してしまったのではないだろうか。

 

今回の各事例の様に、文化が根付いてから本来の姿に矯正することは時間を要する。よって、先ずは本来の前提・ルールにない予期せぬ行動(エスカレーターを当然の様に歩く・コンプライアンスを置き去りにし、違法でもリスクから逃れる行動を選択する 等)が発生した際、それらに違和感を覚えて即座に表明し、暗黙のルール化をする前に改善策を講じる必要がある。その際、新たな改善策を実施としても、予期せぬ行動が発生する場合もある。よって、どのような施策を講じる際も、人々がどのように施策を解釈するのか、施策を受けてどのような行動を取るのかを吟味をした上で実施を検討し、施策実施後にどうであったかを適宜検証する機会が必要である。

 

 今回のエスカレーターで立ち止まる条例においては、暗黙のルールが定着してから時間が経過しているが、埼玉県・名古屋市の各自治体がどうしていくべきかの明確な意思を表明し、県民・市民に明確に伝えて施策を実施した結果、少しずつ上手くいきつつある事例である。しかし時代の変化に伴い、今後新たな予期せぬ行動が発生することも大いに考えられる。その際は、躊躇なく違和感を表明し、どうするべきかを考えながら施策を改めて欲しい。今回挙げた事例の他にも、本来の前提と実態が乖離をしている状況は、国や企業に関わらず、数多く水面下に潜んでいるであろう。これらは、先ず誰かが異を唱えなければ変革することはない。本来のあるべき姿に向け、行動を起こしてもらうことを切に願う。

 

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[1] 「エスカレーターを安全、快適にご利用いただくために - 一般社団法人 日本エレベーター協会」参照

[2] 「エスカレーターにおける利用者災害の調査報告(第9回) - 一般社団法人 日本エレベーター協会」参照

[3] 「サンダルのエスカレーター巻き込まれ事故に関する調査結果報告書 - 製品評価技術基盤機構」参照

[4] 「調査報告書 ― 三井住友海上火災保険株式会社調査委員会」参照

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