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2009.05.29

格付け依存からの脱却

 今回の金融危機の発端となった、低所得者向け高金利型住宅ローン(サブプライムローン)関連の証券化商品。米国の住宅バブル崩壊で、このサブプライムローン関連の金融商品価格が急落し、保有している金融機関の財務内容を急速に悪化させたことが、金融危機の直接の原因と言われている。
 サブプライムローン問題では、米国の大手格付け会社が正しく格付けを行わなかったことが巨額の評価損計上に結びついたという非難が挙がっている。格付け会社は、焦げ付く恐れが強いローンを組み込んだ金融商品に、高い格付けを与え続けた。米国の大手格付け会社の一角であるムーディーズが、サブプライムローン問題が深刻になってからサブプライム関連の住宅ローン担保証券を大量かつ大幅に格下げしたことをきっかけに、サブプライムローンを直接・間接に組み込んだ証券化商品の価格が下落、取引が事実上停止して、投資家が大きな損害を受けたとされている。

 米国では、以前から格付け会社のあり方を巡る議論が繰り返しなされていた。01年のエンロン、02年のワールドコムなどのケースを今回の金融危機に活かすことができず、対応が後手に回ってきたが、昨年、格付け会社の登録制を導入するなど、いよいよ金融当局による格付け会社の監督・規制強化の動きが本格化している。ポールソン財務長官は「不正取引を行ったり、間違った格付けを行なうことが現状の問題をさらに悪化させている。金融当局がそのような行為を取り締まる必要がある。間違った判断、間違った市場のやりとりがすべての投資家の判断を誤らせる」と言及し、また米連邦準備理事会(FRB)バーナンキ議長も金融当局の規制強化案について、「現在の金融市場の動乱に対応するに適切で効果的な案だ」と述べるなど、国が一体となってその動きを支持・支援する姿勢が見える。日本においても、格付け会社への登録制導入などを盛り込んだ金融商品取引法改正案が5月23日、衆院本会議で賛成多数で可決されるなど、具体的な取り組みが顕在化している。国境を超えて活動する大手格付け会社の規制には、国際的な整合性が求められており、日本も登録制の採用で足並みをそろえ規制に乗り出した点は評価できるであろう。

 一般的に、格付け会社が提供する格付けとは、債券などの元本及び利息を発行体(企業、政府、自治体)が償還までにどれだけ確実に支払えるかの見通しを、簡単な記号をつかってあらわしたものとされる。格付けは、発行体そのものに付けられるものと、個別の債券に付けられるものなどが存在する。格付けは、さまざまな信用度を測る指標として、幅広く活用されている。
 また、格付け会社が行なう格付けには、債券の発行会社などからの依頼を受け、格付けを行なう「依頼格付け」と、企業からの依頼に基づかず、格付け会社が独自に行なう「勝手格付け」が存在する。依頼格付けの場合、依頼した企業は、格付け作業に必要となる資料やデータを提出し、その他にもヒアリング調査やインタビューなど様々な形で格付け機関に協力する。格付け会社は、独自に収集した情報と、依頼会社から得た情報を総合的に判断して、最終的な格付けを決定する。勝手格付けの場合、対象となる企業からの積極的な協力は得られず、公表されている財務諸表やデータのみを活用して格付けを行なうことになり、自ずと勝手格付けの方が少ない情報量と情報源による判断になるため、一般に、勝手格付けよりも依頼格付けの方がより企業の信用リスクを正しく反映しているとされている。
 しかしながら、依頼を受けずに出していた「勝手格付け」は低かったのに、その企業が手数料を払ってくれる顧客になったとたんに格付けを上げる。そのようなケースが少なくなかったのもまた事実だ。金融のグローバル化を背景に、格付け会社は急速に存在感を増した一方で批判が絶えないのはこのためだ。サブプライムローン問題を巡っても、金融商品を作り上げた証券会社が求めるままに、本来より高い格付けを出していたのではないかとの疑惑が浮上している。事実、米証券取引委員会(SEC)の報告では、依頼主である証券会社との癒着など「深刻な問題があった」としている。高額の手数料欲しさに、格付けを歪めていたとすれば、格付け会社への批判も頷けよう。
 では、当の格付け会社は、格付けが今回の金融危機の発端となったという指摘に対し、どのような認識であろうか。前述のムーディーズでは、格付けは一つの意見でしかなく、投資決定にあたり投資家は格付けを一つの判断材料として利用することが求められるとの考えを明確に示している。つまり「格付けとは憲法で保障された自由な言論表明にすぎず、何ら責任をとらされる筋合いでない」という主張だ。
 ここで、一つの構図が見えてくる。投資家は、今回の金融危機の責任を格付け会社に問い、格付け会社は投資家の意思決定に問う。いずれも他人に責任を問おうとする“他責”の姿勢だ。
 現実には、大手格付け会社は各国政府の準公的機関のような権威が備わっており、たんなる民間企業とはもはや言いがたく、「責任はない」と主張するのは虫が良すぎるとも言える。一方で、投資家サイドも格付けに従えば大丈夫という保証はどこにもないし、格付けをもとに投資して失敗したとしても誰かが責任をとってくれるわけでもない。結局のところ各々が自己責任で投資判断をするしかないのだ。
 同じ過ちを繰り返さないためには、格付け会社は権威を持つ代償として大きな責任を背負うべきであるし、投資家も格付けは、新聞や雑誌、信用調査会社、シンクタンクなどといったさまざまな情報源のひとつにすぎないという認識を強く持って自己責任で投資判断を行わなくてはいけない。格付け会社と投資家の双方に変化が求められている。
 今や、日本国内においても、格付け会社が扱う格付けは債権に留まらず、国公立大学法人・学校法人や地方自治体(国公立大学法人・学校法人や地方自治体が債務を履行する総合的な能力についての格付け)にまで広範囲に及びつつある。範囲の広がりとともに、その格付けを様々な意思決定に用いる人々も投資家に限らなくなっている。格付け会社に対する適切な規制(利益相反に関する規制、非公開情報の濫用の防止に関する規制、不公正な行為に関する規制 等)の動きが既に顕在化している今、次に求められるのは、情報を受け取る私達自身の格付け情報を正しく読み説く能力であろう。(筆者が考える能力とは、各人が、何に対する格付けで、どのような手法で格付けされているのかを正しく理解し、リスクの所在・大きさを正しく認識することにある。)
 世間では、某テレビ局の女性タレント同士が格付けし合う番組が人気を博しているようであるが、誰もここで行われている格付けが、彼女たちの真実の姿を表わしていようとは思うまい。格付け会社が行なう格付けも、程度の差こそあれ、絶対に信じることのできる唯一の情報ではなく、十分に脆さをはらんだ情報であることを忘れなければ、自己の判断を格付けに依存するのではなく、限界を認識した上でさまざまな情報源の一つとしてのみ用いるようになるのではなかろうか。
 結局、自身の意思決定を他人のせいにしてはいけないということであろう。格付けに「金科玉条」など求めるべくもないのだ。


 

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