2009.06.09
市民の復権 ~経済合理性に支配された都市からの脱却~
ひとむかし前の日本人の暮らしぶり。よく思い浮かぶ象徴的なイメージがある。夫が家族を田舎に残し、一人東京に出稼ぎにでる。そして、身を粉にして必死で働き、稼ぎだした大半のお金を仕送りし、大切な家族を養う。そして、本人は、東京の都会暮らしを満喫するわけではなく、実に慎ましやかな暮らしを送る。そして、また家族のために仕事に打ち込む毎日を送る。
勤勉さ・真面目さ。それこそが、日本人の美徳であると思われていた時代が長い間続いていた。1945年、終戦を告げる玉音放送を、焼け野原で受け止めた日本人が、「何苦楚(なにくそ)」の精神で、日本の国力を復活させたのは、諸外国から"Japanese Miracle"と呼ばれるほどであった。
そして、現代。日本人の暮らしぶりが世界的に見ても高い水準にまで到達し、豊かになるにつれて、日本人の価値観も、随分と多種多様になってきている。ひとむかし前の日本人にとっては、最高級ブランドであった東京という都市も、もはや唯一無二のものではなくなった。最近では、東京から農村へ移住し、自然と触れ合い自分の望んだライフスタイルを実現している人の姿が取り上げられるのをTVなどでよく目にする。望む生活を実現できる可能性は、個人の背景事情により高い・低いはあるものの、社会が物質的・機能的に豊かになってくると、嗜好にしたがってライフスタイルを選択する余地が増えるのだ。
サード・プレイスという概念がある。これは、1989年にアメリカの社会学者、レイ・オールデンバーグが提唱した概念だ(著書『The Great Good Place』)。ちなみにファースト・プレイス(第一の居場所)は、「住居」を、セカンド・プレイス(第二の居場所)は、「職場」を表している。そして、サード・プレイス(第三の居場所)は、「憩いの場」を表していると理解するとわかりやすい。例えばパブ、カフェ、公園、街並みなどがそれにあたる。このサード・プレイスの概念は、アメリカや日本の飲食店や大型量販店が近代性・流行性を追い求め過ぎた結果、市民の「憩い」が犠牲にされてきたことへのアンチテーゼであった。
例えば、第二次世界大戦後、アメリカ資本のフード・チェーンが作り出した安価で手軽に食べられるファスト・フードは、世界的に、それも爆発的に普及した。ファスト・フードが、街にやってきたことで、手軽に食事を済ませられるようになった代わりに、そこに忙(せわ)しなさを生んでしまったと揶揄されることも多い。コンビニもしかりである。24時間必要なものが手に入るようになった代わりに、眠らない街を作りだすことになってしまった。また、世界のあらゆる地域に次々と開発される施設、とりわけ大型商業施設も、企業競争の中、営利・効率を重視した施設づくりを進めることが多く、街の美観、自然を犠牲にしてしまった。
街をつくる者の論理で開発が優先されると、街を利用する者には、のるか・そるかの選択がついてまわる。ファスト・フードや、街のきらびやかなネオンを好む市民、あるいはそれはそれで良しとする市民にとっては、問題はないが、そうでない者にとっては、「憩い」を犠牲にしたまま我慢して暮らし続けるか、他の地域に転居するかの選択肢を選ぶしかない。そのような社会的な歪に対して、サード・プレイスの概念が生まれ、その歪をどう是正すべきかを議論するきっかけとなったのだった。ロハス、アグリツーリズモ、あるいは以降に触れるスロー・フードなどの概念は、その派生と言えよう。
1980年代、サード・プレイスの概念は、それを精神的支柱としてもつスロー・フード運動として具体的な活動に結実している。スロー・フード運動は、1986年、イタリアにファスト・フードの出店がイタリア人の「憩い」の場として愛されるスペイン坂に出店されようとしていたことをきっかけに起こった。これは、企業の論理である時間と価格の効率性が奪っていった地域固有の文化や人々の会話を取り戻そうという試みだった。そして、「スロー・フードの精神をまちづくりに」と、スロー・シティと呼ばれるコンセプトにも発展している。これは、企業から、市民が街づくりのリーダーシップを取り戻そうという活動だ。現在、スロー・シティを標榜している地域は、10カ国、100都市以上にのぼっており、それらの都市は、その土地の独自性や伝統を取り戻し、さらにそれらを積極的に活用しコンセプトのある都市として活性化に繋げているのだ。初のスロー・シティであるイタリアのグレーベ・イン・キアンティをはじめ、ブラ、ポジターノ、オルビエドなどは独自の食文化を有しており、代表例と言える。
実は、都市がスロー・シティを標榜するためには、スロー・シティ協会の認証が必要である。認証を受けるためには、環境政策、社会資本政策、都市生活のクオリティ、地元生産物の活用、ホスピタリティ、スロー・シティ意識向上の6分野55項目にものぼる厳格な審査を受けなければならない。地域資源を活かす施策を市民自らが展開することを求められるのだ。そしてこの認証は、非常に厳しくて有名で、かつ3年ごとの更新審査も必要になる(ある年の応募は172都市中、認証できたのはわずか32都市、さらに更新できなかった都市が52都市あったという)。
このように市民が自身の望む暮らしや都市のコンセプトを明確にもち、それを具体的に実現しようとする取り組みも力強い。社会的な歪の是正に対して本腰を入れ始めた市民に対して、どのように共生していくかは、今後、企業の課題となるだろう。勿論、これまでの営利・効率重視の都市がスロー・シティに全て置き換わることはないだろう。しかし、スロー・シティを標榜した都市は、増加の流れにある。人の嗜好が多様化している中、それを受け止め得る都市も増えている。企業が市民にとってどのような存在としてあるべきかは再考の価値があるだろう。幸い近年、企業もCSRの考え方が浸透してきている。賢明な企業は、自社の利害だけを考えるのではなく、善良なる市民の一員として、社会的責任も積極的に果すべきだという本来の認識を持ち、それに対する具体的な活動を進めている。しかし、一方で、CSRが、法令順守という範囲でしか解釈できない企業も非常に多い。そのような認識の企業は、顧客である市民にそっぽを向かれることになるだろう。様々なコンセプトをもつ都市とそれを主体的に維持・発展させていこうという志の高い市民に対して、柔軟に自社のビジネス・モデルを適合させ、都市の発展に寄与し得る良きパートナーとなれるかが問われつつある時代となったのである。
Future Soul