2012.02.07
大切な事は午前中に決める!
先日、知人のホームパーティーに招かれた。当初、手料理で歓待すると意気込んでいたものの、ホームパーティー間近になって「参加者はワインと食べ物1品持参でお願いします」というメールが届いた。きっと仕事が忙しいのだろうと思い、指定の買い物を済ませ訪問したのだが、意外にも手料理を諦めた理由は、「料理のレシピを考え、買い物をリストアップして、来客者の好みを考えているうちに、あまりにも決める事が多くて疲れ果ててしまった」という事だった。確かに手間はかかるものの「決める事が多すぎて」という理由がなんとなく気になった。
考える事に疲れを感じることは日常生活の中にもよくある。価格比較サイトの商品比較検討、分厚い通販カタログ、超大型ショッピングセンターでの買い物など、これらの行動も疲れを感じる。
よく、選択肢は多いに越した事はないと言うが、人は実際に目の前の選択肢が多すぎると、結局は何も選択しないという実験結果を聞いた事がある。そんなおり、普段は気に留めない雑誌に、脳科学(主に社会心理学)の世界で言うところの「決断疲労」に関する記事に巡り合った。
米国のThe New York Times Magazineの記事によると、ものごとの決断時に脳が疲れを感じると、潜在的リスクの高い行動を嫌うということが書かれていた。その論拠は、スタンフォード大学によるイスラエルの刑務所において下される判事の仮釈放の決定に関する調査によるものであった。一日の中で行われるイスラエル刑務所における仮釈放の決定の結果は、受刑者の犯罪内容や民族的背景とは関係なく、決定が下される時間に関わるという結論に至ったという事がわかった。この調査結果によると、午前よりも午後、しかもより遅い時間の審問の受刑者の方が仮釈放を認められる可能性が低く、午前70%に対し、午後の遅い時間は10%しか仮釈放が認められなかった。一日継続して仮釈放の審問による判断での疲労蓄積=「決断疲労」が影響しているというものである。
つまり、午後の遅い時間になると、判事達は潜在的にリスクの高い仮釈放の決定(仮釈放して再度犯罪を犯すリスク)を嫌う行動としてあらわれた。この行動こそ「決断疲労」時の特徴的行動だとしている。要は、疲労した脳は、釈放の是非の判断に使う精神的エネルギーの浪費を避け、より楽な行動をとっているという訳だ。この結果から、判事の決定ばかりではなく、日常的な決断の場において「決断疲労」は判断を歪めると考えられている。仕事帰りに高額商品を衝動買いするOL、最終ホールで一発勝負をかけるようなショットを打つプロゴルファー、夜中に秘め事をFacebookに投稿することなども「決断疲労」が影響している。何故だろうか?脳科学的な解釈によると、人間の脳は、一日のうちに多くの選択をかさねるほど、脳にとってはかなりの負担を強いる作業になっている。この脳への負担は肉体的疲労と違って自覚症状がないものの、精神的なエネルギーは確実に奪われているそうだ。つまり、精神的エネルギーが枯渇してくると、脳は決断時により手っ取り早い方法を取ろうとする傾向があるという。そして、この方法には2つの方向がある。一つは、どんな結果であれ一切気にもとめないという方向で、考えるには考えるが、最後まで考え抜くほどの精神的エネルギーがないため、「どうとでもなれ!」と突飛な行動をとるというもの。もう一つは、精神的エネルギーの消耗を極力節約する方向で、考える苦労を回避する決断行動をとるというもの。先延ばしなどはこの典型だ。
精神的エネルギーの量に限界があることは、科学的にも研究されてきており、当初は我慢する行動などにみる「自己統制力」が研究対象であった(例えば、アイスクリームが食べたい衝動を抑えた被験者は、他の衝動に対する抵抗力が落ちる)が、その後の研究で、アイスクリームはチョコレートかバニラかといった日常的な決定にも精神エネルギーが消耗されることもわかってきた。ということは、日常生活でも、より多くの決断をすればするほど「決断疲労」状態に陥り、その結果「自己統制力」が奪われる。確かに、身の回りでもそれに似た行動を見ることができる。例えば、新車購入時のオプションン選択は、脳の疲労を伴う作業である。ボディーカラー、シートの素材とカラーバリエーション、サンルーフの有無、フロントグリルの仕様、カーナビの種類、その他にもまだまだある。結局、予め用意されていたオプションパッケージを選択してしまうという結果に陥る事が多い。ベテラン営業担当者なら、オプションを選択している購入者が、最終的にどのような決定をするかについて、経験的に知っているはずだ。事実、優秀なクルマの営業担当者は、クルマの色を顧客に選ばせないという話を聞いた事がある。その理由を営業担当者に訊ねると「顧客は自分で色を決められずに時間がかかるから」という事らしい。更に決めさせるコツを聞いてみると、まず夕方以降の商談にした上で、「50%が白、35%グレイ、10%がベージュを選んでいます。後はまったく売れません。さてどれにしましょうか?」という感じで問いかけると、あっさりと決めてしまうそうだ。同じようにオプションの設定など割増金が出てくる場合は、オプションパターンを3つくらい提示し、夕方以降に商談することが鉄則という事であった。彼らは科学的根拠は持っていないかもしれないが、経験知を活かした対応をしていることは事実である。もし、「決断疲労と営業の極意」を結びつける教育を施したら、クルマの営業担当者は、笑顔を携えた悪魔のように購入者を誘導するようになるかもしれない。ボディーカラーはともかく、オプションの選択は翌朝にしたいものだ。
話は変わるが、「決断疲労」はダイエットの失敗にも関わっているそうだ。ダイエットは典型的な「自己統制力」との戦いである。しかし、毎日のダイエットメニューの考案、カロリー計算、新陳代謝を上げるための様々な運動、悪しき生活習慣の改善等など、考える事が多くなればなる程「決断疲労」に陥る。従って「自己統制力」は奪われていくため、身体は自ずと糖類を欲するようになる。しかし、ダイエット中は甘いものは摂取できないという葛藤(精神的エネルぎーの消耗)が生まれ、さらに大きな試練を強いられてゆく。仮に、朝、昼、夕方まで甘いものを我慢できたとしても、ダイエットの事を考え続けた脳は疲労のピークに達し、人によっては夜になると完全に「自己統制力」を失い、ダイエットを断念してしまうのだ。午後遅い時間のイスラエルの判事も深夜にダイエットに失敗する人も、その原理は同じという事だ。
因みに精神的エネルギーの動力は脳である。脳の疲労にはグルコース(糖分)が効果的な事は既に科学的にも証明済みであるため、「決断疲労」に陥った脳にはグルコース(糖分)を補えば脳の疲労回復につながる。私たちは日常生活において、精神エネルギーも疲労するなどという事に全く関心を示してこなかった。しかし、精神エネルギーの疲労を上手に管理できれば「自己統制力」を失わずに済むのであれば、イスラエルの刑務所の判事達は、午後に休憩を取っておやつを食べたり、シフト勤務を工夫したりすることで仮釈放の時間的偏りを是正できる。また、ダイエットを成功させたいのであれば、「決断疲労」がピークに達しないよう、適度な糖分摂取を考えた方が良いだろう。一方、企業であれば、議論を尽くした翌朝に意思決定をする方がより賢明ということになる。
「決断疲労」と「自己統制力」の研究は、意思決定と時間管理、持続する意志と糖分摂取の大切さについても示唆している。この点を頭に入れ、会議の時間を再考したり、ダイエット計画を練り直しみると、案外上手くいくかもしれない。
そういえば、先日衝動買いをしたのは19時00分を回っていた。これからは一晩寝てから決断するようにしよう。
アーリーバード