2015.04.13
Vote Japanを期に考える部分的直接民主制
2015年3月17日、政党「日本を元気にする会」は、重要法案の国会採決につき国民の意見をインターネットで集約、これを元に国会議員が投票行動を行うという「Vote Japan」なるシステムをスタートさせた。
Vote Japanは、次のように謳っている。
国政政党「日本を元気にする会(元気会)」が運営する議論プラットフォームです。
元気会は皆さまの意見が別れるような重要法案・政策については、 会員の皆さまによる投票結果に応じて国会で投票行動を決定します。
Vote Japanでは、皆さまに実際に国会に提出される法案・政策について 大いに議論をしていただき、最終的にはYes / Noに投票をしてもらいます。 この議論には国会議員も参加し、その賛否比率が元気会の行動指針となります。
Vote Japan(https://votejapan.jp/pages/concept/)
筆者はVote Japanが、本邦をはじめ多くの国で採用されている間接民主制のデメリットを補う点で、この取り組みに期待している。Vote Japanは、
1. 有権者の法案投票における選択肢を保障できること
2. 有権者の法案投票を不確実にする議員の行動を排除できること
という利点を持っていることを、理由と共に述べたい。
まず、「1. 有権者の法案投票における選択肢が保障できること」について考える。これまで有権者は、間接民主制で立法に参加するには、「自身の選挙区内で考え方が最も近い議員を選ぶ」という選択肢しか用意されていなかった。
この場合、単一の論点で投票を行う場合は然したる問題はないが、論点が複数になった途端、一部の論点に対して、有権者が自身の考えることと反対の投票行動を取らざるを得なくなる。
たとえば、消費増税が論点である選挙で、増税で財政再建を目指すA氏と、歳出削減により増税を避けられるとするB氏だけが立候補しているとする。論点が1つであれば、有権者は「増税を行うか否か」を、「A氏とB氏への投票」という行動に置き換えることができる。ところが、2つ目の論点として、「原発の再稼働に賛成か否か」が入ってきたとしよう。ここで、A氏は「逼迫した電力需給のため原発を再稼働すべき」、B氏は「安全面を考慮すれば、原発は再稼働すべきでない」と主張したとする。この場合、「消費増税には賛成だが、原発再稼働には反対」と考える有権者は、どのように投票すればいいのだろうか。
間接民主制で法案採択を行う場合、候補者の意向によって有権者の選択肢が限定されることは、構造的に避けられない問題である。自身が議員となる道が残されてはいるものの、そのハードルは決して低くはない。この点Vote Japanでは、法案賛否の投票を有権者が直接行うことができるため、こうした問題は起きえない。
次に「2. 有権者の法案投票を不確実にする議員の行動を排除できること」について考えてみよう。ここで述べる「不確実」には大きく2種類がある。ひとつは、投票された議員が公約を守るかどうか、もうひとつは、投票された議員が公約を果たそうとした時に実現できるかどうかである。
普天間基地の移設問題で、「県外移設」を公約として掲げていた仲井真弘多・元沖縄県知事には、辺野古への基地移設に反対する行動を期待し信任票を投じた有権者も多かったことであろう。ところが2013年12月、仲井真氏は米軍基地移設のための辺野古埋め立て工事の承認を、沖縄県知事として行った。仲井真氏の行動が「公約を守らなかった」のか、「公約を守ろうとしたができなくなった」のかは窺い知れないが、普天間基地の「県外移設」を論点に投票行動をした有権者は、完全に裏切られてしまった。
(仲井真氏は当時の会見で「公約は変えていない」という主張をしたが、これを素直に受け取る有権者は、辺野古埋め立て容認派の中でさえ少数だろう。)米軍基地の県外移設を求めて仲井真氏に票を投じた有権者は、この不確実性の犠牲者となった。
Vote Japanの場合、今回の埋め立て承認は知事の専権事項であるため如何ともしがたいが、法案採決においては議員の投票を拘束できるため、このようなリスクを減少させることに資する。
Vote Japanは、国会議員が法案の提出や審議を行うという間接民主制の枠組みを維持したまま、法案採決の場に直接民主制を取り入れるという試みである。直接民主制は間接民主制にない問題点が大きいため、単純にこれを議会に導入することは難しいが、Vote Japanの方式ならば、この問題は一部解消される。たとえば、完全な直接民主制を採る場合、国家の有権者数が膨大な数であるため、議論をひとつにまとめることが事実上不可能となる。しかし、Vote Japanは議論を尽くした後の最終的な法案採決において、インターネットを活用する部分的な直接民主制であるため、この問題は発生しない。国会審議は限られた議員が行うため、議論の統率を保つことができる。
古代ギリシャの衆愚政治を例に、門外漢の国民が法案に対する理解の浅いままポピュリズムに従って投票行動に出るため、直接民主制に反対する意見も根強い。当時、衆愚政治を繰り広げた「δημαγωγός (デマゴゴス)」と呼ばれる人々は、国民に虚偽の情報を流すことで大衆を翻弄し、「デマ」という言葉の語源にもなった。
Vote Japanには、日本を元気にする会の国会議員が法案の内容を個人の立場で解説する他、議論を行えるプラットフォームが設けられている。一部の政治家が衆愚政治に付け込んで工作を働くことが困難なシステムだ。筆者が興味深かったのは、最初に自身の考えを投票すると、対立する意見が要点を絞って自動的に表示される仕組みだ。これを5回ほど繰り返し、賛否両論の意見を多角的に取り入れた上で、最後に正式な投票ができる。国民に「様々な意見を聞いて考えさせる」という制度を築けば、議員に任せきりにするよりも、国民が考えるのではないかと感じたくらいである。
それでも時には、国民全体が誤った方向に進むことが考えられる。国会財制が破綻しかかっている際に財政緊縮策に反対する勢力が政権を獲得した現在のギリシャを、そのように喩える声もある。ただし、現在のギリシャは間接民主制であり、直接民主制固有の問題でないばかりか、国民全体が誤った方向に進むのであれば、それを反映させてこそ民主主義と言えよう。
Vote Japanには、直接民主制故に起こり得る衆愚政治のリスクだけでなく、間接民主制を誤った方向に導く「考えない国民」を「考える国民」にする可能性すら秘めている。
Vote Japanは、法案採決の場に直接民主制を取り入れることで、有権者の法案投票における選択肢を保障し、有権者の法案投票を不確実にする議員の行動を排除することができる。議場の秩序は従前の如く保たれ、国民は政治をより真剣に考え出す。
インターネットの発達により、大多数の意見を集約する手間暇やコストは大きく減少したこともあってか、世界では直接民主制への回帰を目指す活動がみられるようになった。欧州では各国に直接民主制を目指す政党が存在するようになり、特にイタリアでは議会の20%近い議席を有するに至っている。今や直接民主制は、世界的にも異端ではなくなりつつある。
これまでのことを鑑みれば、日本でも法案採決に直接民主制を取り入れることは、決して荒唐無稽なことではないだろう。Vote Japanは一政党の試みに過ぎないものであるが、国として直接民主制の部分的導入を検討してもいいのではないか。
直接民主制を部分的に導入することによって議決権が国会議員から国民の手に移れば、世論調査で大多数が反対を叫ぶ法案が、一部の「センセイ」の意向で成立することがなくなる。官邸の言うままに動き、国民が納得する法案を提出しない議員は、存在意義が失われるようになる。国民は政治への諦めを抱く必要がなくなり、自らの行く先を自らの頭で真剣に考えるようになる。密室の料亭で繰り広げられた茶番劇が国民の生活を決めるよりは、国民の選択と進歩によって国の未来が決まる姿の方が、筆者には健全と思えてならない。
間接民主制の利点を活かしたままに、有権者に法案賛否の投票権を与えるVote Japanのシステムは、三流と呼ばれるこの国の政治を大きく変える可能性を秘めている。国は選挙人名簿を持つため、投票権の管理は選挙権と同レベルに扱うことができ、納税が電子的な方法(e-Tax)で行われていることを鑑みれば、システムと法律を整備することも難しくはない。
国民の声を確実に政治に反映できる部分的直接民主制の導入について、真剣に考えるべき時期に来ているのかもしれない。Vote Japanの行く末に期待したい。
Zarathustra II.