2008.01.31
マーケティングを駆使した差別化戦略、ライバルに差をつけるポイントとなるか?
企業は自社のターゲットとする消費者からの認知度を上げるために様々な創意工夫を凝らす。広告やCM、ブランドイメージ、商品そのもの、サービス。他社と違った点を訴求することでより多くの消費者を自社に引き付けようとする、いわゆる「差別化」戦略である。われわれコンサルティングファームも、企業そのものや商品サービスの存在価値を上げるために、差別化のための施策をクライアントにお勧めすることも多い。差別化と一言にいうが差別化は難しい。そもそも差別化するにも、何を差別化するかがクライアントでもわからないことも多い。自社の売り物はなにか?訴求しなくてはならないものは何かがわかっていないことも多いのである。そういう状況の中で、差別化とはなにかを考えてみた。
すこし古い話になるが、差別化が成功しかけた事例で、クロネコでおなじみのヤマト運輸が仕掛けた宅急便がある。当時の小荷物戸別配達は郵便局の仕事であったが、その常識に切り込み民間ならではの発想で戸別配達を開始し、その手軽さと便利さがうけて急成長した。「宅急便」という名前が流行語にもなった。宅配事業はインフラの整備などの時間がかかるので、他社が追い付くまでには時間がかかったが、数年後には他の広域運送業も同様のサービスを始め、ついには「宅配便」という名前が流通するようになり、どこでもできるありふれたサービスになり下がってしまった。
ここでヤマト運輸は先行者の利を生かした差別化戦略で、クール宅急便、スキー宅急便、ゴルフ宅急便などのサービスを次々に開発してゆくが、この場合はすぐに他社も同様のサービスを始めることができたため差別化は長続きしなかった。ついにはクロネコの受付を担っていたローソンがJPに鞍替えする事件もおこり、いまではそのブランドイメージも宅配事業数社の中に埋没してしまった感がある。
数年前には個室を売りにしたちょっと高級感のある和風居酒屋がふえた時期があった。それまでの居酒屋のイメージである、安価で大部屋的で騒々しいというイメージを一新して、ちょっとした高級感が演出された落ち着いた個別空間で、会話や食事を楽しむという雰囲気がうけたこと、さらにマスコミにも取り上げられ、スタート時は繁盛した。しかしすぐに他の居酒屋チェーンも同様の店舗を展開しはじめ、1年もするとそれこそどこに行っても同じような店舗が林立するようになった。もはやどこが最初にはじめたかも忘れ去られていることだろう。(ただその後の居酒屋のイメージを変えたことは評価されるべき)
企業はなぜ差別化戦略に魅力を感じるのだろうか?それは他社との違いを鮮明にして、自社や自商品サービスを指名買いしてくれることを目指すことに動機がある。そうなれば商売が楽になることは言うまでもないが、他社にないものを持っていればプライスリーダーになることもでき、市場でも圧倒的に有利になることができる。なにより激烈な競争から解放される。
差別化の成立には大きくわけて2つのパターンがある。①は企業発信(仕掛け)→消費者認知というパターンであり、企業が自社の差別化ポイントを決め、その情報発信を何らかの方法(広告、商品サービスそのものなど)で行うことで消費者が差別化として認識するもの。企業は消費者に差別化していることを発信し、消費者はその企業からしか商品を買えないか、サービスを受けられないことを認知した時点で、差別化戦略が成立する。②は一方的消費者認知というべきもので、企業側は特に何もしていないのだが、消費者が勝手に差別化だと認識する(差別化だと気付く)ものだ。両パターンとも方法はどうであれ、消費者が差別化を認識することで成立する。
これまでの例を見ても、①のパターンの場合は、目先をかえて新しいことを開発したとしても、すぐにコンペティターが追随して差別化要因にならなくなることが多い。差別化の旬の期間は半年から1年程度で、あとはその他大勢の中に埋没し、それまでと同じ激烈な競争にさらされるようになる。他社が同様のものを展開した時点で、消費者はどこでも調達できることを知り、差別化要因が崩れるのである。差別化で競争しようと思えば、それこそ新たなものを開発しつづけなくてはならない。
②のパターンの場合の多くは、企業側がひたすらに同じことを追求していた(腕を磨いていた)ら、消費者が勝手に差別化されたものと認知したパターンである。これは老舗と言われる企業や店などに多い。その技術や商品サービスでは誰にも負けないという自信に裏打ちされた優位性、そこでしか手に入らないというプレミアム性もあいまって、結果的に他社では手に入らないものとなり差別化が成立する。このパターンは差別化が成立するまでには長い時間がかかるが、一度差別化が成立すれば簡単には崩れない。
石屋製菓の白い恋人がよい例だといえる。石屋製菓は創業依頼、白い恋人を愚直なまでに作り続けてきた。様々な商品を開発することもなく、北海道以外へ拡販しようとも考えず。いつのまにか消費者からは、北海道土産といえば白い恋人と認識されていた。石屋製菓という名前は知らなくても、白い恋人は周知されている。石屋製菓も愚直さが差別化の大事な要因になったとは思わなかっただろう。
白い恋人は、昨年後半に賞味期限偽装で販売停止に追い込まれた。白い恋人のブランド失墜と、規模の大きくない石屋製菓にとっては、約3ヵ月の販売停止は拭えないダメージであり、販売を再開したとしても従来の売れ行きは難しく、石屋製菓の復活は難しいだろうと思われていた。しかし販売を再開したとたん、販売停止前以上の売れ行きとなり、製造が追いつかず売り切れ店続出で関係者を驚かせた。
同様の問題でいまだに販売を停止している伊勢の赤福も、白い恋人と同じような差別化商品なので、販売再開で同じような動きをするだろうと予想されている。
これは何を意味しているのだろう?白い恋人は、北海道の土産として長い時間をかけて消費者が一方的に認識した商品である。そのような方法で形成された差別化商品は、多少の障害を乗り越えるだけの力があることを証明しているといえないだろうか? 企業が意図して作り上げた差別化要因はすぐにまねされて埋没してしまうが、消費者認知の差別化要因は他社がすぐに追い付くのが難しくすぐには埋没しない。
ここで、多くの企業が行っている差別化戦術を考えてみる。その多くは、これまでの自社のビジネスや商品サービスの目先の形を変えて世の中に発信していくことに近いといえる。同業他社と同じような商品サービスを持っているが、他社と大差がないために同じような販売競争していたのでは勝負が厳しい。そこでちょっと目先を変えてみようという戦術である。商品やサービスの質を徹底して磨くのではなく、より消費者のニーズに適合させるような目先のマーケティング施策と言っていい。これは一時的にはよい効果を生むこともあるが、すぐに陳腐化してしまう。なぜなら他社が追い付くのが簡単だからだ。確固たる歴史や技術の蓄積、長い間に粛々と築きあげた信用などではないため、他社も真似が簡単なのである。やはり商売の王道として、自らと自らの売り物の軸足を定めて、徹底的に磨き上げることが、他社の追随を振り切ってオンリーワンとして認知さることにつながり、それが差別化の重要な要因になっていく。
本当の差別化とは、今一度自分たちの足元を見つめなおし、自分たちが世に問うていくものは何か(商品、技術、サービス・・・)を見定め、それを愚直に徹底的に磨き研ぎ澄ます。その研ぎ澄ました価値が消費者の琴線を刺激しオンリーワンとして認識される。このプロセスが完遂するのは大変に時間がかかることだが、かけた時間そのものが他社との間の追いつけない距離になるのである。そこに21世紀の日本企業、いや日本の立ち位置があるのかもしれない。