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2017.06.12

「教育無償化」論に見る「教育」とは?

弊社は、企業の競争力の源泉である「人」の変革と成長にまで踏み込んだコンサルティング・ソリューションを提供している。そのため、常日頃「人」への探求心を強く持ちながら過ごしているが、その中で、最近特に気になるニュースの一つが「教育無償化」論である。 「教育無償化」とは、授業料など教育にかかる経費をタダにすることであり、憲法26条において義務教育は無償と定められていることから、現在、公立の初等学校と中学校は授業料がかからないようになっている。この無償の範囲を幼児教育や高等学校に拡げようという動きが「教育無償化」論である。 きっかけは、安倍首相が1月20日の施政方針演説で、「どんなに貧しい家庭で育っても、夢をかなえることができる。誰もが希望すれば高校にも、専修学校、大学にも進学できる環境を整えなければならない」と、高等教育の無償化に意欲的な発言を行ったことだ。元々、日本維新の会らが教育無償化を改憲案の柱に掲げてきたが、ここにきて、認知率・人気率共に高い自民党の小泉進次郎議員らが「子ども保険」構想を掲げたことで、議論に拍車がかかった状況だ。 そして、政府は2日、経済財政運営の基本方針(骨太の方針)の素案を公表し、幼児教育を早期に無償化すると明記し、「こども保険」の創設を含めた「人材への投資」を柱に据えた。 安倍首相の目指そうとしているもの自体は、筆者も大いに賛同している。しかし、日本の政治家や官僚には落胆せざるを得ない。なぜなら、現実問題として議論の争点になっているのは、いつも通り「財源の確保」や「憲法改正の有無」といったものだからだ。具体的には、教育無償化に伴い発生する膨大な費用に対して、憲法改正による教育無償化を口実として、上述の「こども保険」の他に、日本維新の会が提唱する「教育国債」や民進党が提唱する「子ども国債」など、様々な「財源論」が巻き起こっている。だが、いずれも財源確保という論点の域を出ることはなく、ポピュリズムの政策論争だけが進んでいる始末だ。 もちろん、そのような議論が不要とまでは言わないが、物事には考えるべき順序というものがあるのではないだろうか。なぜなら、義務教育の範囲によって、必要な財源確保の金額が大きく変わるからだ。 内閣府などの試算によると、完全無償化の所要額は以下の通りとなっている(※1)。 ●就学前 :3~5歳児の幼児教育を段階的に無償化 約1兆2000億円 ●高校 :就学支援金による授業料の実質無料化 約   3000億円 ●大学 :授業料免税や奨学金拡充 約3兆1000億円 上記は、入学金や授業料など主に勉学に関するものが中心となっているが、放課後などに行われるクラブ活動も教育を支える重要な要素だと捉えるのであれば、無償化(ないしは一部負担)の対象になって然るべきである。問題は、そういった議論が全くなされていないことに尽きる。 今回のケースでは、そもそも教育とは何のためにするのか、義務教育とするのであれば、誰を対象とし、何を教育するものなのか、といった「教育」そのものについて議論を重ねる必要があるのではないだろうか。 以下、日本における「義務教育」について、筆者の考えを述べていくこととする。 まず日本における義務教育とは何か、という点については、文部科学省(※2)によると、以下の通り示されている。 教育基本法第4条(義務教育)  国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う。  2 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない。 また、義務教育制度の構造については、下記の通り整理されている。 ①憲法  すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育は、これを無償とする。 ……憲法第26条第2項 ②就学義務と年限・年齢   9年間の普通教育の就学義務 ……教育基本法第4条   保護者は、子女を満6才から満12才まで小学校に、その修了後満15才まで中学校に就学させる義務を負う。 ……学校教育法第22条、第39条 ③義務教育諸学校の種類と修業年限   小学校は6年、中学校は3年 ……学校教育法第19条、第37条 ④義務教育諸学校の設置義務   市町村は、必要な小学校、中学校を設置しなければならない。 ……学校教育法第29条、第40条 ⑤義務教育の無償   国、地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料を徴収しない。 ……教育基本法第4条、学校教育法第6条 更に、学校教育法においても、6才から15才までの9年間を義務教育とする以外には詳細な説明は無い。近年では小中一貫校も増え始め、義務教育の9年間を4年・5年に分けるといった議論もなされているようだが、そもそも義務教育として何を教育すべきなのかを規定できていないのが現実なのである。 筆者は、義務教育を「社会人として独り立ちし、日本を背負って立つようにするための教育」だと考えており、中等教育(高等学校を含む)まで義務教育期間を延伸すべきだと考える。その上で、高等教育(大学)は職業訓練的な位置づけとし、社会に出て自らの力で食べていくための専門性を養う場とするのである。 この根拠として、世界で職業教育で成功しているいくつかの実例を挙げることができる。例えばドイツでは、中世以来のマイスター制度に端を発しているデュアルシステムというものがあり、中学2~3年生の頃からキャリアを選択させ、職能で生きていく選択をした場合には、18歳くらいまで職業学校での座学と現場実習の両輪(デュアル)で職能を磨くことができ、その6割以上が実習した企業に就職している。現在、デュアルシステムで公認されている職種は約350種類でドイツという国がどのような職能を必要としているかを、官民一体となって常に見直すことで、安定的かつ適正な産業基盤を確保しているのである。 またインドでは、技術系の最高峰であるインド工科大学を中心として、世界のマーケットで売り物になる人材像を明確に描いた教育プログラムを実践している。その最大の特徴は、大学を出るまでに学生に「値札」をつけることにあり、高価格の優秀な学生には、世界トップのグローバル企業の採用担当者が殺到している。新卒で初任給10万ドルというエグゼクティブ並みの値札がつく強者もいるようである。 片や日本ではどうだろうか。今も色濃く残る学歴至上主義や学閥などによって、どこの大学を卒業したかで、就職先や生涯年収の趨勢が決まってしまうため、少しでも偏差値の高い大学に入ろうとする意識が強い。しかし、たとえ良い大学を出たとしても、就職後に即戦力として活躍できることは皆無で、多くの企業は多大なコストをかけて、新入社員教育をみっちり行うことになる。実際のところ、入社後の活躍には学歴は関係ないケースがほとんどで、いくら東大を卒業したとしても、役に立たない人材は大勢いるというのが実態である。つまり、(良い)大学を出ることは、企業に就職するためのパスにしかすぎず、社会で活躍していく上でのドライブにはなっていないのである。大学が就職後のビジネス即戦力を育成する場として機能すれば、企業は多大な新入社員育成コストを負担する必要がなくなり、その浮いた育成コストの一部を「義務教育」に投資するというという循環ができあがれば、官民一体となった育成相互扶助システムを形作ることもできる。 日本でも、多くの企業で“グローバルで戦える人材を育成しなければならない”との声がはばからないが、日本の産業競争力を高めるためには、大学はもとより、初等教育や中等教育を含めて教育体系を見直すことが急務であるのは間違いない。政府もそれは認識してはいるようだが、気が付けばすぐに財源の話に流れてしまうのが悪いところだ。政治家や官僚はもちろん、国民一人ひとりが、財源などの話からではなく、「教育」のあるべき姿から、よく考え議論し尽くしてほしいものだ。 <出典> ※1:内閣府などの試算 日本経済新聞 2017年5月20日 参照 ※2:文部科学省HP URL:http://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/about/004/a004_04.htm

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