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2025.05.12

『普通』ってなんだろう?

 「そろそろ周りも結婚して、子どもがいる友達も多いんじゃない?“普通は”このくらいの年齢で結婚するものでしょ?」 母親と晩酌していたある夜、何気ない一言が心に引っかかった。私は今、仕事にも生活にも満足している。ただ、結婚というライフイベントだけが未経験なだけだ。それなのに「普通は」と言われた瞬間、自分の選択や人生が否定されたように感じた。なぜ「普通」を外れると、こんなにも肩身が狭くなるのか?そもそも「普通」とは、一体何なのだろうか。
 この問いは、私自身だけでなく、今を生きる多くの人が抱えている感覚だと思う。「普通」の考え方として、社会学者エミール・デュルケームは、著書『社会分業論』において「集団意識(conscience collective)」の概念を提唱していた。社会の安定と統一を維持するには、共通の信念や価値観が必要不可欠であり、この集団意識が個人の行動を規範する役割を果たす。しかし、こうした規範から逸脱する者は「逸脱者」と見なされ、無意識のうちに排除される傾向があることを示している。同じく社会学者のロバート・K・マートンもまた、機能主義の観点から、社会規範は秩序維持のために存在すると論じている。ただし、それは常に全ての人に適しているわけではなく、ときに個人の自由や多様性を抑圧する要因となることを提唱している。二人の社会学者の言っていることをまとめると、「普通」とは単に統計的な多数派というだけでなく、社会の秩序や空気を守るための基準でもあるのではないか。言い換えると、「普通」は誰かにとっての常識であり、それを外れる人を無意識に排除してしまう、否定してしまう機能を持っているのではないかと考えた。勿論、「普通」は否定的な側面ばかりだけではなく、共感やつながりを生む重要な役割も果たしていることもある。例えば日常会話では、「普通はさ〜」という言葉が相手と共通認識を確認するための便利な道具として機能する。誰もがゼロから説明せずとも通じ合える「共通基盤」としての「普通」があることで、私たちはスムーズな人間関係を築いてきた。このように、「普通」は必ずしも悪者ではなく、安心感や所属意識をもたらす側面も持ち合わせているものである。
 そもそも、なぜ人は「普通」であることにこだわるのか。それは、「普通」であれば目立たずに済み、批判されにくく、社会的に安全だからだ。心理学では、集団からの排除を恐れる「同調行動」は自然な傾向であるとされている。実際に「アッシュの同調実験」という実験がある。他人の意見が個人の判断に与える影響を調べたもので、被験者は明らかに正しい答えがある課題で、サクラの集団がわざと誤答する中、約3分の1がその誤答に同調したという実験だ。自分一人で考えるときは正確な判断ができても、集団のなかにいるときは、集団に合わせて誤った判断をしてしまう傾向があることが実験結果で明らかとなっている。よって「普通」は、その安全圏の象徴であることが理解できるが、「普通」を捨てることは、時に勇気のいる行為であるということも言える。「普通」という安全圏に身をおきたいという心理と、勇気を出して「普通」を捨ててみる心理の2つのバランスのとり方はなかなか難しい。
 どうすればこの「普通」のバランスは保てるのか。まず、「普通」は時代や文化、社会背景によって変化する相対的なものである。例えば、LGBTQはわかりやすい例かもしれない。現在の社会においては、LGBTQへの認知・理解は広がり、パートナーシップ制度の導入が進むなど、法制度面でも少しずつ変わってきている。具体的には、2024年6月時点で、パートナーシップ制度を導入している自治体は2022年6月時点では219自治体だったが、2024年6月には459自治体に達し、約2年間で倍増し、これらの自治体に居住する人口の割合は85.1%に上る(2022年6月時点では約55%)。こうした数値は、LGBTQの考えが徐々に浸透し、人々が受け入れ始めていることを示しているといっても過言ではないことを示している。一方で、いまだにLGBTQの考えに理解できない方も少なからず存在するだろう。「自分の中の普通」が他者の自由を縛っていないか、意識的に問い直す必要があるのではないかと考える。また、常に更新される「普通」に対応するために、今後は人だけではなく、組織や制度といった社会の仕組みも、変化する「普通」に柔軟に対応するための設計へ移行することが求められてくるのではないか。
 価値観の多様化が進む現代では、「多様性を尊重すること」自体が新たな「普通」として求められる場面も増えている。たとえば企業の採用活動や学校現場では、ジェンダーや国籍の違いに配慮した表現や対応が重視され、「多様性配慮」が当たり前とされる空気ができつつある。これはポジティブな変化である一方、新たな「普通」が生まれることで、逆に戸惑いや圧力を感じる人も少なくない。「多様性を理解しなければならない」という新たな義務感が、別の形の同調圧力になりつつあるとも言える。結局は、「普通」を完全になくすことは不可能なのだ。社会のなかで共通認識は必要であり、一定の「普通」は常に存在する。重要なのは、「普通」が絶対ではないことを意識し、それを相対化して捉える視点を持つことだろう。違う価値観や生き方に出会ったとき、「それはおかしい」と即断するのではなく、「そんな考え方もあるのか」と受け止める柔軟さこそが、多様な社会を生きる私たちに求められているのではないか。私は、この柔軟さを身に着けるために、「共感」ではなく「違和感」を活かす意識を持つことが重要だと考える。必ずしも「理解し合うこと」を前提とせず、理解できずに違和感を覚えたときに、それを否定ではなく「新しい視点」として捉える発想の転換によって、他者を理解しきれないという前提に立ちつつ、わからないけど否定しない態度を取ることで、結果的に柔軟性が高まると考える。
 今振り返ると、冒頭の母の言葉も、母なりの経験と価値観の中で、「普通」という表現を通じて、私に寄り添おうとしたのかもしれない。価値観が異なる人を一方的に批判するのではなく、その人がなぜそう信じているのかという背景に目を向けることが重要であることに気づかされた。読者の皆様も、是非「普通」という言葉について考えてみてほしい。

 

シャオリン



■参考文献
1.社会分業論(ちくま学芸文庫):エミール・デュルケーム著/田原 音和訳

2. 創造法編集社/ロバート・K・マートンの実証的機能分析とはなにか
https://souzouhou.com/2024/03/12/robert-king-merton-2/

3.STUDY HACKER/アッシュの同調実験とは
 https://studyhacker.net/vocabulary/asch-conformity-experiments

4. nippon.com/パートナーシップ制度:24年6月時点で459自治体が導入、人口カバー率85%超す―渋谷区などの共同調査
https://www.nippon.com/ja/japan-data/h02195/?utm_source=chatgpt.com

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