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2025.05.26

AI と平和に暮らすためのすすめ

日々の暮らしの中で、AI(人工知能)はすっかり身近な存在になっている。新聞やニュースで話題になるのはもちろん、ショッピングサイトのレコメンドやエアコンの自動室温調整など、気づかぬうちに生活のあらゆる場面に入り込んでいる。

とても便利な一方で、どこか不安や戸惑いも感じることがあるだろう。自分の思考や行動までAIに決められてしまうのは、少し寂しいと感じる人もいるはずだ。AIと適度な距離感を保つには、自分たちもAIのことをもっと良く知ろうとする努力が重要になりそうである。

 

AIとは何かを考えるとき、まず「人間とは何か?」という問いに立ち返ることが大切だ。というのも、AIを理解するには、人間らしさと比較しながら考えるのが近道だからだ。人間は「なぜ?」「どうして?」と問い続ける存在であり、その問いかける力こそが人間の本質の一つだ。心や存在、言語、倫理といったテーマも結局は「人間とは何か?」という問いに行き着く。

 

人間が問いを立てられるのは、「言語」という仕組みを持っているからだ。言語は単なる情報伝達の道具ではない。たとえば「花」という言葉は、目の前の一輪のチューリップを指すだけでなく、花にまつわる思い出やイメージ、詩的な表現など、幅広い意味を持つ。言語は現実のものとその意味を切り離し、世界に多様な解釈や分断を生み出す。同じ言葉でも人によって受け取り方が違い、誤解や摩擦が生まれることもある。言語は世界に意味を与えると同時に、曖昧さや不安定さも生み出してしまうのだ。

 

こうした言語による分断や不安から、人間は「自分や世界は何のために存在するのか?」と意味を求めるようになる。宗教は、その分断された意味をもう一度結び合わせようとする営みだ。ラテン語の「religio(宗教)」には「再び結び合わせる」という語源がある。宗教が台頭していた時代、人々の判断軸は「自分がどう考えるか」ではなく、「神がそれをよしとするかどうか」にあった。神の意志が絶対であり、人々は自分で考えるよりも、神の教えに従うことが善とされた。そのため、人々は盲目的に神を信仰する中で、自分たちらしさや個性を失っていくような側面もあった。

宗教の物語や教えは、キリストやブッダといった特別な人物を通して語られ、そこに普遍的な価値や意味を見出そうとする。しかし実際には、言語や文化が異なれば信じる神や宗教の形も違う。どれほど普遍的な真理を語ろうとしても、言語的・文化的な限界は避けられない。宗教は人々に大きな安心や共同体意識を与えた一方で、結局は言語の持つ制約の枠を超えることはできず、個々人の思考や選択の自由を制約する側面も持っていた。

 

数や数学はどの言語や文化でも同じ意味を持つ「共通言語」として機能する。数学や科学の法則は世界中で通用し、言葉の曖昧さや違いを超えて世界を共通のルールで説明できる。この普遍性は、人類が協力し理解し合うための基盤になってきた。哲学者ニーチェはこの状況を見て「神は死んだ」と言った。絶対的な神の代わりに科学や合理性が新たな共通基盤になったということだ。人々は神の意志から解放され、自分自身の理性や科学的知識をよりどころに生きるようになった。

 

現代では、AIの登場によって新しい「共通言語」の可能性が生まれている。AIは言語の不完全さや多様性を理解しつつ、数学の普遍性を活かして世界中の人々をつなぐ役割を果たし始めている。もしAIがあらゆる言語や文化を橋渡しし、共通の理解や協力を促進する存在になれば、人類は「バベルの塔」の夢――すべての人が分かり合う世界――をAIの力を借りて実現できるかもしれない。

 

だが、そんな時代が来たとき、人間は「自分らしさ」を保てるだろうか。かつてテクノロジーの力で神を絶対的に信じる世界から脱却した人類だが、今度はテクノロジー(AI)が新たな「絶対的存在」となり、人間の自由や個性を脅かすことはないだろうか。神にせよAIにせよ、それを生み出し推し進めているのは僕たち人間自身なのだ。

ここで思い出したいのが、ニーチェの説く「超人(Übermensch)」という考え方だ。超人とは、外部の絶対的な存在や価値観に頼るのではなく、自分自身の内側から新たな価値を生み出し、自分の人生を切り拓いていく存在だ。自分たちの外に超人を作り出すのではなく、自身が超人を目指すことこそが、人間の目線で見たときに本当に求められていることなのかもしれない。

 

AIと共存する時代だからこそ、人間らしさや自分らしさを大切にしながら、AIと賢く付き合っていく知恵が求められている。

AIは、確かに人間の生活を劇的に便利にしてくれるし、時には自分よりも賢く、正確に物事を判断してくれるだろう。でも、だからといって思考や選択をすべてAIに委ねてしまった瞬間、人間は本質的な自由と創造性を手放すことになる。神の名のもとに自分を見失った過去と同じように、今度はAIの名のもとに自分を見失うことになるかもしれない。

AIがどれだけ発展しようとも、最終的に自分の人生を決めるのは自分自身だ。外から与えられる「正しさ」や「便利さ」に安住するのではなく、自分の価値観や欲望、葛藤や不安と向き合いながら、自分だけの答えを探し続けること。それこそが、AI時代における人間の「超人」的なあり方だと思う。AIに使われるのか、AIを使いこなすのか。その境界線は、僕たち自身の覚悟にかかっている。自分の頭で考え、選び、責任を引き受ける――その覚悟を手放した瞬間、僕たちはもう人間ではなくなってしまうのかもしれない。なぜなら、僕たち人間の本質は、自分自身で問い、悩み、選択し、創造していく存在であるからだ。その営みを放棄したとき、僕たちはただの「AIに最適化された存在」に成り下がってしまう。だからこそ、AIと共に生きる時代においても、僕たちは自分の頭で考え続けることをやめてはいけない。

 

おさかな

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