2008.07.11
お気づきですか?少子高齢化の先にある日本の人口“減少”問題
日本が、「少子高齢化社会」と言われるようになってから、どれくらいが経つだろうか。少なくとも、昭和の頃から言われているはずであるから、もう数十年も前からこの問題が取り上げているはずだ。むしろ、昭和の頃は確かに「高齢"化"社会」だったかもしれないが、平成の世になり、今ではもう「高齢社会」となったと言ってよい。 しかし、必要とされているからと言って、外国人労働者が他国へ仕事をしに行こうというのは、そう簡単なことではない。言葉や文化の壁といった労働者本人に降りかかる困難があるのは勿論、そもそもヒト・モノ・カネが国を超えて往来するのには、多くの障壁があるものだ。ところが今、こうした障壁を取り除こうという動きが国家間で推進されている。 では、EPAを締結したことで、労働人口や内需の減少問題が即解決するか?というと、やはり即解決というわけにはいくまい。EPAの締結は、あくまで諸外国とのヒト・モノ・カネの出入り口を広げた、というきっかけ作りにすぎない。そもそも、外国人労働者を受け入れることに対して、ポジティブなイメージを持っている人は少ない。ましてや、それが短期的な期間労働者ではなく、移民ともなってくると、積極的になる国は決して多くはない。出入り口は広がっても、受け入れる側の方に、まだまだ障壁が存在している。 まだ日本国内では、国民感情やインフラも含めて、外国人労働者の受け入れ態勢が十分とは言い難く、解決すべき課題は多い。それゆえ、EPAといった、諸外国との経済連携の枠組みができつつある今だからこそ、政財界が歩調を合わせて、真剣に外個人労働者の受け入れの必要性、将来的には移民の受け入れを視野に入れた議論をすべきだ。参考となる外国の事例も少なくない。例えば、オーストラリアの積極的な移民政策や人種に関係なく公平と言われる諸制度は手本とすべき点があるし、フランスにおける移民問題からも学ぶべき点は多い。特にフランスでは、移民の権利に関することが、大統領選の大きな争点になるほどである。また何よりも、かつて日本は積極的に移民を出してきた時代があった。その先人たちが経験した苦労は、今尚語り継がれている。我々が活かすべき教訓も十分にあるはずだ。 ヘッジホッグ
ところで、「高齢化社会」と聞くと、皆が自身の将来を憂い、最近の行政の不始末も手伝って、自分の年金は大丈夫か、自分の年金を支える若者たちはいるのだろうか、と心配になる方が多かろう。それは、当然のことで無理もない。確かに、高齢化や少子化は着実に進んでおり、「年金」というシステムを脅かすまでに進行している。だが、この「少子高齢化社会」が進行していく将来を考えたとき、年金のことばかり憂いてばかりもいられない。だが、若者不在で支えられなくなるのは、何も年金のことばかりではない。あらゆるところに歪みは生じ始めている。
実は、少子高齢化社会とは、将来の日本にとって深刻な人口問題なのである。少子高齢化社会と聞くと、日本の年齢別人口構成比のことばかりが目に止まったり、高齢者に対するケアや育児がしやすい環境づくりなど局所的な発想をしがちである(もちろん、これは非常に大切なことであり、是非実施してもらわねばならないが)。だが、少子高齢化社会とは、将来を大局的に俯瞰すると、日本の人口そのものが"減少"していくことを意味している。事実、国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、2008年時点で日本の総人口は127,768千人(前年比-0.1%)と年平均増加率はわずかであるが既にマイナスに落ち込んでいる。そして、30年後の2038年の総人口は107,733千人にまで減少し、2050年には、総人口が95,152千人と1億人を切る結果となっている。次に、15歳以上~65歳未満の人口と割合の推移を見てみよう。すると、2008年:84,422千人(66.1%)、2038年:59,528千人(55.3%)、2055年:45,951千人(51.1%)と減少を続けている。つまり、今から約50年後には、労働人口として期待できる日本人は約半数になってしまうのだ。人口減少に起因する問題は数あろうが、その中でも労働人口の減少は、重要な問題の1つである。
既に、現在の日本では、日本人の労働者が不足し、外国人労働者なくしては、成り立たない産業も存在している。それは、いわゆる3K(きつい・汚い・危険)と言われる産業であることが多く、日本人が自らの就労場所として敬遠してきた産業である。こうした産業では、外国人労働者の受け入れは年々着実に増えている。例えば、これまで日本の製造業を支え、世界に高水準の技術レベルを誇ってきた部品メーカーなどの中小企業では、外国人労働者が不可欠な存在となっており、その高水準の技術そのものが外国人によって支えられている、ということも珍しくない。後継ぎ不在が深刻と言われる農業においても、外個人労働者は増えており、重要な担い手になりつつある。また、「外国人労働者」という言葉は、前述のような3K職場で働く「肉体労働者」を連想しがちであるが、近年では3K以外の産業でも、外国人労働者の数は増えている。出身国も実に多様で、オフィスの隣人が外国人ということも、そう驚くことではなくなった。明らかに、日本は外国人労働者を必要としている。
ここ数年の間に、日本政府はアジア諸国とのEPA(Economic Partnership Agreement/経済連携協定)の締結を推進してきた。EPAとは、FTA(Free Trade Agreement/自由貿易協定)のように、単に関税を撤廃するといった通商上の障壁を取り除くだけでなく、サービス貿易の自由化、円滑なモノの移動、人的交流の拡大を実現し、様々な経済領域での連携強化・協力を促進しよう、という政策である。そして今年4月、日本とASEANのEPAについて、全加盟国の署名がなされた。発効は今年中を目標になるという。これによって、日本のアジアにおける経済連携の範囲は、各段に広がるEPAによってもたらされるメリットは様々あるだろうが、日本の人口減少問題に関して言えば、将来日本で減少する労働力を補いやすくなったということと、将来減少する内需を外国人労働者の受け入れやEPAを締結した諸国に向けてマーケットを拡大することで補いやすくなった、ということを意味する。
過去、日本企業(特に製造業)は、アジア諸国を経営戦略上、重要な製造拠点として捉え、多くの日本企業がアジア諸国に我先に進出し、積極的に設備投資と技術移転を推進してきた。今後、労働人口が減少していくことで、海外進出はさらに加速するかもしれない。しかし、その一方ではサービス業や建設業といった国内に不可欠な産業も存在する。例えば、医療の現場を考えてみよう。既に、医師や看護師の不足が叫ばれるようになって久しい。50年後に人口の約半数が65歳以上になることを考えれば、医師や看護師の不足は、更に深刻な事態になる。医療に限らず、その他の高度な専門職に従事する人材までも不足していくことは想像に難くない。
このように国内に必要不可欠な労働人口を補うためにも、将来の日本には外国人労働者は必要だ。これまで日本は、アジア諸国を自らの拠点として、いわば自分の庭先のような存在として捉えてきたかもしれない。しかし今後は、日本国内における労働力として彼らを頼り、また新たなマーケット創造の対象としても欠かせない存在になる。
その障壁として大きなものが2つある。1つ目は、安い労働力が流入することで、自国民の定職を脅かす「求職の競合」の問題がある。もう1つは、もし隣人が言葉も文化も異なる外国人となった場合、今までの安心できた生活が脅かされるのではないか、という「治安」の問題がある。実際、外国人労働者に対して、治安の面でネガティブなイメージを持つ日本人は多い。そのようなネガティブなイメージは、国民の感情の中だけでなく、業界団体の中にもあり、EPAを締結した国から、専門技術を持った労働者を受け入れようとしても、各業界団体からの反発に合うなど、外国人労働者の受け入れは必ずしも進んでいないのが実態だ。また、外国人労働者を頼るのであれば、彼らに付与すべき権利や生活保障についても、真剣に検討する必要がある。日本国内において、日本人と外国人が共存共栄するために必要なインフラを揃えることも重要である。
是非、「人口減少問題」が顕在化する前に、積極的な議論が展開されることを期待したい。将来、日本がさらに発展していくためには、近隣諸国との共存共栄は不可欠である。そして、諸外国と共存共栄の道を歩むためには、日本という国そのものが、彼らにとって魅力的な労働市場と生活基盤を備えた素晴らしい国家になる必要がある。我々、国民一人ひとりが襟を正さなくてはならないことも多そうだ。