2008.10.22
繁栄か凋落か、どうなる日本の大学
先日、英国の教育専門誌「タイムズ・ハイヤー・エデュケーション・サプリメント(THES)」から、毎年恒例となっている世界大学ランキングが発表された。2008年の第1位はハーバード大学(米国)となり、2004年から始まったTHESの世界大学ランキングにおいて5年連続の栄誉となった。なお、2位以下は、2位:イェール大学(米国)、3位:ケンブリッジ大学(英国)、4位:オックスフォード大学(英国)、5位:カリフォルニア工科大学(米国)と続き、15位のコーネル大学(米国)まで米英の2国によって独占されている。さらにTOP100で見ると、実に半数以上の54校が米英の大学である。一方日本の大学はというと、19位:東京大学、25位:京都大学、44位:大阪大学、61位:東京工業大学と続き、TOP100には4校のみのランクインに留まっている。国内最高学府の東京大学でさえTOP10 に入らないという事実は非常に寂しい気もするが、世界の中ではこれが現実らしい。 では、そもそも日本の大学が、海外の教員・研究者や学生から見て必ずしも魅力的に感じられない理由だが、日本の大学が義務教育の延長線上にある社会に出るための必然的な通過点になっており、専門高度な学問を修める場や研究を行う場として機能していないことが考えられる。大学側も改善・改革を行っているが、その内容を見ると大学における研究の質的向上というよりも、学生の獲得を目的とした学生に対するサービスの充実や、MBAなど企業やビジネスを対象としたプログラムの充実などに偏っているように思う。また、大学側の甘さは学生に対してだけでなく大学の教壇に立つ教員に対しても感じるところがある。無礼な物言いで恐縮だが「万年助教授(現、准教授)」と揶揄される研究成果を中々発表しない教員や、毎年同じ講義を繰り返すだけの教員は少なくない。そして、こうした教員たちが翌年どうなるかとういうと、特段の理由がない限りクビになることもなくその大学の教壇に立ち続けている。 将来的に日本の人口構成比は急速に変化し、かつての日本の高度成長を支えたような労働者も、今の日本の最先端テクノロジーを牽引してきた優秀な研究者も、その絶対数が減っていくのは間違いない。日本の更なる成長・発展を支えるような研究を国内で継続的に維持していくためには、世界中の優秀な研究者や学生は欠かせないものになるだろう。そういった面からも、日本の大学が、彼らがここで研究をしたいと思えるような、彼らが十分に活躍できるような場になっていることは、今後の日本にとって重要なのである。
ところで、このTHESによる世界大学ランキングだが、大学の研究力や教育力を総合的に評価して決定しており、この評価項目が面白い構成になっている。そして、この評価項目別の結果を見ると、今の日本の大学の状況を良くあらわしており、非常に興味深い。THESの評価項目は、①研究者による評価、②雇用者による評価、③教員一人当 たりの被論文引用件数、④教員数と学生数の比率、⑤外国人教員比率、⑥外国人学生比率の6項目によって構成されている。このうち、①研究者による評価のスコアを見ると、東京大学が100点、京都大学が99点と上位10位の大学と比べても全く遜色ない。また、②雇用者による評価に至っては、早稲田大学が72位、慶應義塾大学が93位にランクインするなど、総合評価ではTOP100の圏外だった大学もランクインしてくる。(ちなみに、②雇用者による評価は、企業に対する「どこの大学出身者を採用したいか」という質問に対する回答で決定されている。)
ところが、⑤外国人教員比率、⑥外国人学生比率の評価項目を見ると、TOP100にランクインしている日本の大学は1校もない。総合評価TOP100にランクインした4校でさえ圏外であり、この2項目の評価の低さが総合評価に大きく影響していることは間違いない。しかし、この2項目の評価の低さは日本の大学に対してもっと大事なことを教えてくれている。それは、この2項目の評価の低さは、海外の教員・研究者や学生から見て日本の大学が諸外国の大学と比べて魅力的ではないかもしれない、ということだ。もちろん、日本に外国人の教員・研究者や学生が少ない理由として、言葉の問題(日本が非英語圏であること)や生活費の高さなど、日本で生活することの困難さの影響もあるだろう。しかし、⑤外国人教員比率については、非英語圏であるアラブ首長国連邦やサウジアラビアといった中東の大学もTOP10以内にランクインしており、⑥外国人学生比率については、英語圏ではないフランスなどのEU諸国の大学も上位にいる。これらを見ると、必ずしも言葉の違いだけで2項目の評価が下がっているわけでもないことが伺える。やはり、海外の研究者や学生が自らの研究の場として選択するには、日本の大学は何か魅力に欠ける点があるはずだ。この点は、将来のことを考えれば、是非とも克服しておきたい点である。もし、日本の大学がこの先もずっと海外の教員・研究者や学生から研究の場として選ばれることがないとすれば、日本の大学は世界の中で評価が上がるどころか、将来的に凋落してしまう可能性さえ出てくる。なぜなら、現在は世界をリードするような研究成果を残している日本の大学であっても、今後も継続的により高い研究成果を出し続けるためには、日本国内だけでなく、海外の優秀な研究者や学生の力も必要になることは容易に想像できる。また、海外の大学が自国外の優秀な研究者や学生を獲得し、今の日本よりもさらに高度な研究が行えるようになった場合、日本の優秀な研究者や学生自身も、自らの研究の場を積極的に海外に求めていくことも考えられる。
もちろん、優秀な人材が積極的に海外へ飛び立ち、更なる研究成果を上げていくことは、喜ばしいことでもあり、誇らしいことである。とはいえ、もし日本には海外の優秀な頭脳が流入せず、一方で日本の優秀な頭脳が流出してしまうとしたら、日本国における研究の担い手が減ることになる。国内の研究の担い手が減り、最先端の研究を行うことが難しくなれば、医療や科学技術、IT技術などあらゆる分野で世界から遅れを取り、日本の今後の成長に影響を及ぼしかねない。
このように、学生・教員双方にとって居心地の良いぬるま湯のような場を提供し続けている限り、日本の大学に明日はない。学生獲得のための努力や企業・ビジネス寄りのプログラムが流行ることが悪だとは言わないが、もっと専門高度な学問を研究する場としての本分についても見直すべきだ。そのためには、俗に入学は難しく卒業は容易と言われるような安易に単位認定や卒業を認めて大学で学ぶことの価値を自ら貶めるようなことはせず、学生に対して毅然とした姿を見せるべきであるし、教員に対しても同様である。学生に対しては、自らが主体的に学ぶチャンスを得ていくよう入学時にマインドセットをするのも良いし、語学やゼミ以外は教員1名対大人数の学生という一方通行になりがちな授業を見直す事も必要だろう。教員に対するものとしては、まだ一部の大学だがテニュア・トラック制度を導入、または導入を検討しているところもある。同制度によって、研究者のレベルが担保されることとなり、優秀な研究者はより活躍の場を得やすくなるだろう。しかし、テニュア・トラック制度は、日本ではまだ始まったばかりであり、対象も若手研究者に偏っている。対象をさらに拡大し、教員・研究者に対するある種の認定制度のようなものとして運用するのも、教員・研究者のレベルを保つための一つの打ち手となるだろう。優秀な学生・教員は日本だけでなく世界中にいるのである。国内で不足しているならば、視野を拡げて海外から学生・教員を獲得することを考えても良いはずである。そして、「彼らを獲得できるような魅力的な大学であるためには、どのような大学であるべきか」を考えれば、自然とあるべき大学の改革の姿は見えてくるはずだ。決して、教員・学生のモラトリアム的な意識を助長するような改革にはならないはずである。
そして、このような世界を視野に入れた大学改革の推進には、政府の積極的な支援も期待したい。優秀な海外の研究者・学生に対するビザの優先的な発給や生活支援など、できる事はある。また、これまでも産学連携の研究開発や事業開発など行われているが、企業による優秀な研究者・学生や研究に対する、更なる経済的な支援も期待したい。企業にとっても、最先端の研究成果の恩恵を受ける事や将来の優秀な社員の獲得などメリットが期待できることもあるだろう。
日本発の世界をリードする研究成果が続々と発表され、世界中の優秀な頭脳が我先にと日本へ集まってくる。日本の大学が、そういう「場」になっていくことを願う。
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