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ふたつの時間

 私の中にはふたつの時間が流れている

 

 普段私たちは時間を管理して生きている。管理の指針は単純で効率性だ。生産性と言い表してもよいかもしれない。私たちは効率的に時間を消費しようとし生産的に時間を使おうとしている。文明の発展はそのような私たちの自覚によって成り立っている。そしてその自覚を、私たちは時計によって管理している。

 効率的であり生産的でもあるために、私たちは消費と生産の場で関わり合う他者たちと互いに時計の針を合わせようとする。それがスケジュールだ。そうして私たちは、今度はスケジュールに管理される。より多くの人が関わるスケジュールほど、個人の都合を介入させることが困難になる。

 個々の集団がつくるスケジュールは、他の集団との間で歯車のように連動し、スケジュール自体がまた別のスケジュールによって管理される。歯車の連動は際限なく拡大する。それが現代における社会の構図だ。そしてそれらを動かす目に見えない原動力が経済原理であり市場原理だ。

 私たちのつくり出した社会は、知らず知らずのうちに経済原理や市場原理に働かされるようになっていた。私たちは時間を管理しているつもりだったが、経済原理や市場原理が支配する時間から管理されるようになっていた。

 時代が進めば進むほどこの傾向は強まって行く。時代が進むということは文明の発展を意味している。また都市部になればなるほどこの傾向は強まって行く。都市部に行けば行くほど文明の恩恵を享受しやすい。文明の恩恵とはより便利になることである。つまりは、より効率的で生産的な暮らしができるということである。

 

 一方で、何かの都合で都市部を遠く離れると、私の中にもうひとつの時間があったことに気付かされる。その時間の感覚は、七歳から九歳までの三年間で育まれたものとの自覚がある。その時私は、都市部から隔絶された山村にいた。

 生まれてから六歳までの間も私は百年の風儀を残す片田舎で暮らしていた。しかし片田舎ではあったが都市部に隣接した町であり、高度経済成長期の波に乗って都市部の時間が流入していた。

 私が七歳から九歳までを過ごした山村は、文字通り周囲を山に囲まれており、朝は遅く日暮れは早く、村に入る道も一本よりなかった。向かいに一軒の農家はあったがその他は数百メールも離れていた。家の前の小川にはオオサンショウウオが生息していたし、裏山にはムササビが飛び、時おりイノシシも現れた。山村は大きな川に穿たれており夏には家の中に数多の蛍が迷い込んで星空の如く瞬いた。広い田はなく、山裾に連なる棚田は春にはレンゲが薄紅に染め、初夏には青々とした稲が泳ぎ、秋には黄金色にたなびいた。長い冬には、暮らしは雪の底に眠るよりなかった。

 山村で暮らす人々は時間を管理しようともしないし、スケジュールに管理されることもなかった。鳥の声で朝を知り、今日一日の天気を鳥に訊く。虫の声で夕を知り、明日の支度を虫に訊く。野に山萩が薄紫の花を咲かせば白菜の種をまき、山にアヤメの紫を見つければ豆をまく。カマキリの卵が孵化すれば田植えを始める。そこに人が作ったスケジュールはない。人同士がスケジュールを申しわせることもない。山や川が、空や土が、鳥や虫が、木々や花が、人に人の営みを教えていた。山村の人々は効率性や生産性ではなく、自然が報せる時に従って、ただ無事に暮らそうとするだけなのである。

 ところで、農作業の初めを報せる七十二候は一年を七十二の季節の報せに分類しており単純に三百六十五日を七十二で割れば凡そ五日となるが、七十二候を説明するネット上のサイトには、例えばそろそろ田植えの準備をはじめる報せである「霜止出苗(しもやみてなえいずる)」に4月25日~4月29日頃と付記されているのは、いかにも文明的に思えてくる。

 

 十九世紀以降、文明の時間は瞬く間に世界を覆っていった。時には傲慢に、時には無邪気に、時には暴力的に、世界の時間を均質化していった。かつて地球上にはその土地の風土に応じた多様な山村の時間が存在していたが、今は片隅に追いやられようとしている。十九世紀以降の戦争は、概ね文明の時間の侵食がもたらしている。地球上の多くの問題はふたつの時間の入れ替わりに起因している。

 その過程において私たちは、限りある地球の資源を無尽蔵だと言わんばかりに搾取して文明を発展させてきた。生産性を追求してきた結果、広大な畑は地下水を枯らし土も疲弊させた。山を削り、森を消失させ、世界中を掘り起こした。その結果の異常気象であり、やがて飢餓も拡大するだろう。

 世界中の車をEVにしたところでさほど事態は変わらない。EVも地球の資源を搾取しなければつくれない。月に資源を求めに行く動きもあるが、必要なロケット燃料に見合うだけ月を掘り続けるのだろうか。資源を巡る戦争がなくなればよほど問題は解決しそうだが、おそらく無理な話だろう。

 最も有効な解決策は地球上から人が減ることだ。すぐには無理だが百年もすれば景色も変わるのではないだろうか。人が減れば一人が享受できる資源は豊かになるだろう。効率性も生産性もさほど重要ではなくなるだろう。人々は、ひたすら変化を求めて前に進むだけではなく繰り返す山村の時間と無事に過ごす術も、きっと思い出すことだろう。

 

 そんなことを思いながら、私は今日も〆切に追われてこの原稿を書いていた。次回は民主主義について考えてみよう。

 

方丈の庵

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