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2007.07.05

モノ言う個人株主が、株式総会を変えた!

 三月決算企業の株主総会がほぼ終了した。今年目立ったのは、外資系投資ファンドの苦戦だった。過去最多とも言われる大幅な増配や役員選任などを求める株主提案はことごとく否決された。また、買収防衛策導入に対する承認は、提案した全210社で可決された。投資ファンドによる提案が否決された背景には、企業間の株式の持ち合いによる安定株主工作や、委任状を事前に獲得するなどの企業側の対策もある。しかし、目先の利益を求めることよりも長期的な視点で企業の成長を支えようとする個人株主の意見が、より大きな要因となった。多くの個人株主は、内部留保を吐き出して短期的な利益のために増配することが長期的な企業経営にはマイナスの要因になると判断し、結果として、投資ファンドと個人株主の間に鮮明なコントラストが生じた。

 ブルドックソースの場合も、スティール・パートナーズの提案を、80%を超える株主が退けた。その後、東京地裁もブルドックソースの買収防衛策の適法性を認めたが、東京地裁の判断は、市場原理を重視するというメッセージに他ならない。

 スティール・パートナーズは、最後まで日本市場の空気が読めていなかった。今後の経営方針も明示しなかったため、その空気を変えることもできなかった。逆に、ブルドックソースの参謀を務めた岩倉弁護士の対応は秀逸だった。通常では、過半数で可決となるところを、あえて3分の2以上の賛成にハードルを上げている。長期戦を睨んだ作戦は、市場原理を味方につけることに成功した。また、忘れてならないのは、多くの個人株主から支持しようという気持ちを引き出した池田社長の力量だ。増資後の経営計画を示したこともあるが、それ以上に、池田社長の真摯な姿勢が醸し出したイメージは、完全に市場の空気をつかんだ。それは、より良い製品を作り続けようと真面目に努力する社員の姿を連想させたのかもしれない。市場は、池田社長が説明する経営の在り方を、より健全な姿として支持した。

 今を遡ること50年前に、世界では3つの経営モデルが台頭した。米国では短期的な資本利得を重視する株主主権の経営モデルが確立された。ヨーロッパでは組織の社会的側面を重視する経営モデルがドイツから台頭した。日本では長期的な人の雇用を重視する経営モデルが発展してきた。しかし、それぞれの方向に特化してきた3つの経営モデルは、いずれも危機に直面している。日本では、長期的な安定雇用に対する約束が不況を脱却するための重い足かせとなった。同様に、米国でもヨーロッパでも、それぞれの経営モデルが持つ特徴そのものが危機に直面している。多くの経営者は、3つの経営モデルの内どれが正しいのかではなく、それらは本来対立するものではないことを学習したが、今も最適なバランスを模索しながら不完全な状態を脱却できないでいる。それは、3つの経営モデルの成り立ちが、それぞれに根深い文化的な背景を持っているからだ。これらの経営モデルは、市場原理に対して、全く異なる視座から成り立っている。しかし、とどのつまり市場を支配するのはマジョリティーが作り出す空気であり、その空気は、共同体が蓄積してきた文化的な土壌の上に醸成される。このことは、最適なバランスを求める企業のイノベーションが、決して容易ではないことを示唆している。

 スティール・パートナーズは、日本での講演会で、日本の市場はもっと勉強しなければならないと主張したが、その前に、日本市場の文化的な土壌を深く洞察すべきだった。長期的な人の雇用を重視する経営モデルは、経営の長期的な安定感の上にしか成立しない。90年代にバブル経済が崩壊して後、その経営モデル自体が多くの日本企業の足かせとなり、そこからの脱却に躍起になって、多くの日本企業は、成果主義という名の時価主義的な経営に舵を切ってきた。しかし、日本の市場は、今も日本的な経営モデルを育んできた文化的土壌を色濃く残している。日本の市場は、社員がこつこつと積重ねる真面目な努力の上にこそ真の成功があるものと考えており、株主や経営者が大金を手にするためには、大量のレイオフを行うことも厭わないという感覚を容認しない。むしろ、株主の短期的な利益の追求は、その成功を阻害するものとの根強い確信がある。結果として、スティール・パートナーズは、日本市場の文化的土壌そのものを敵に回すこととなった。これは、ある意味でやむをえないことかもしれない。米国系投資ファンドであるスティール・パートナーズが生まれた文化的土壌は、明らかに日本のそれとは異なる性質を持っているからだ。また、金融のスペシャリストは、短期と長期、不易と流行、利益と利益を超えた人心といった、相反することをバランスさせるような仕事を経験していない。そのことも、理解を阻む壁となっていたのではないだろうか。

 しかしながら、今回の対立を、単なる文化的土壌の対立や、専門分野の対立として片付けてはならない。それぞれの経営モデルを成立させてきた背景も、それぞれに変化しているからだ。

 米国で起こった株主主権の経営モデルも、既に新しい株主によって侵食されはじめている。米国型の経営モデルの根底にあった、投資家とは持株を売却することで短期的な資本利得を得ることができる者とする常識は、もはや新しい株主によって覆されようとしている。新しい株主とは、株に投資した年金基金によって企業を所有することとなった年金加入者であり、短期的な利益を追求する従来の資本家ではなかった。年金の給付を確実なものとするためには、企業の長期的な成長が不可欠となる。経営者達は、短期的な業績と長期的な成長の両方に対する説明責任を問われるようになってきた。株主構成が複合化した日本の市場でも、今後は株主と企業との間の説明責任と同様に、株主と株主の間での説明責任が重視されるようになるだろう。また、異なる利害観をもつ株主に対し、企業はより高度な説明責任を問われるようになるだろう。今後、そのような潮流が本格化することで、異なる文化的土壌の対立を超えた、新たな経営モデルの模索が加速して行くことを期待したい。

 今回の株主総会シーズンでは、多くの経営者は、モノ言わぬ株主とされてきた個人株主の変化と影響力の大きさを痛感したに違いない。しかしながら、経営者は、いつでも個人株主が味方につくものと安易に考えてはならない。経営者の保身が垣間見えるなど、経営者の説明が合理性を欠けば、瞬く間に市場の空気は変わるだろう。市場原理を重視した東京地裁の判断は、企業にとってより厳しいハードルが置かれたことを意味する。ブルドックソースも、これからが本当の正念場となるだろう。

 市場は、常に健全なものを求める。大切なことは、市場が何をもって健全とするのかを見極めることだ。健全の基準とは、文化的土壌が培ってきた常識の上に形成される。同時に、複数の文化的土壌を越えて共通する健全の基準も少なくない。複数の文化的土壌を越えた健全性は、短期的な説得力と長期的な成長性を確信させる力を持つ。今日、グローバルな市場で勝利を収めている企業は、例外なく世界共通の健全性の上に経済的な利潤を得ることに成功している。そして、その健全性の背景にある常識を、組織の隅々まで浸透させることにも成功している。

 今回の株主総会では、不祥事を起した企業の経営者が謝罪する姿も目立った。不祥事の多くは、組織の中に蔓延する常識が、市場の求める健全性と乖離していることに起因する。これからの経営者には、市場が認める常識と組織がもつ常識とが、絶えず乖離しないようにしていく経営手腕が、強く求められるようになるだろう。その意味で、モノ言う個人株主の台頭が、日本企業にとって極めて重要な学習機会をもたらすことを願ってやまない。新しい経営モデルを支える企業統治は、市場と真摯に対話する経営者からしか生まれないだろう。

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