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2009.11.09

「主義」との付き合い方

 企業組織の中で、上位職から部下への一方的な1wayのコミュニケーションのみでなく、「議論」や「対話」を行うことの重要性が説かれるようになって久しい。要は「言葉のやりとりをすればいい」と思う方もいるかもしれないが、同じ話をするにも前提や目的が違えば、その効用は全く別のものとなる。

 「議論」とは、論点を分解・分析し、自分の意見と相手の意見を相対的に比較し意見に優劣をつける過程。一方で、「対話」とは、相互の意見や考え方を理解し、共に戦うための結論を導き出す過程であると定義されることが多い。このような定義に触れると、「議論の結果」はどちらか一方の意見が勝者として取り上げられ、採用されるようなイメージをもたれるかもしれないが、実はそうではない。企業組織の中でなされる議論は徹底的に勝負を決するディベート大会ではないのだ。当然、議論の中に「対話」の要素や精神がなければ議論自体が成立せず、その結果もたらされる結論に関係者が意欲高く取り組むことはない。結局「誰かの意見の押し付け」になってそもそも話をした意味自体が薄れてしまう。逆に、「対話をしろ」と言われると特に企業組織の中では、「そのやり方では、結論を出せない」と感じる人も多いようだ。これも確かに頷ける。意見を聞き伝えた上でどこが共通見解でどこに違いがあるのか特定し、それについて「議論」をしなければお互いの意見を言い合っただけで終わってしまう。

 企業組織内のコミュニケーションには「議論」も「対話」も必要なのだ。前述の定義にしたがうとすれば、「対話」という大きな枠組みの中で、必要に応じて「議論」をすることが有効だと考えられる。但し、こんな「言葉のやりとり」のプロセスを解説し共通認識としたところで、なかなか生産的なコミュニケーションが図れないことも多い。

 そのケースをいくつか見ていくと突き詰めれば問題の原因は、議論や対話を行う人の人と対峙する姿勢に求められることが多い。人は誰しも、その役職や行っている業務に関わらず、意見や考えを述べる以上はその内容が「正しい」もしくは「妥当」だと考えているものである。自分が違うと思っていることをわざわざ他人に伝えようとする人はよほどの悪意がない限り存在しない。そうした前提に立つと、生産的なコミュニケーションを行えるかどうかは「自分の考えを伝え、必要に応じて修正し、最善の結論を出そう」という準備を持って、他人と話をできるかどうかにかかっている。他人と話をする機会を自分の発信の機会のみでなく、他者からの情報収集の機会、さらにはその材料を使って考えを案出する機会として捉えられるかどうかの違いである。こうした向き合い方を生来の性格として出来る人もいるが、実はその数は非常に少ない。特に企業組織の中では、そうした姿勢の必要性を経験から認識し、自らの振る舞いをコントロールすることを後天的に学んだ人の方が多い。上司であれば、「部下が全く動かなかった」「部下の不信感を招いてしまった」という経験、部下であっても「同僚からそっぽ向かれた」「上司から反抗しているだけと評価された」などといった「痛い経験」を通して、自分の在り方や行動を変えてきた人々である。このような柔軟性が発揮できた要因はいくつも挙げることができる。自分を客観的に評価し見直すといった内省に長けている人もいれば、「人と話をする以上は自分の考えが100%通ることはない」という新たな前提を受け入れる人もいる。その要因の説明は複数存在するにしても、それらに共通していることは状況を良くするために、自分が変わるしかないという覚悟を持ち、自分の課題として新しい行動様式を取り入れているということだ。

 だが、「自分が変わる」という選択肢を採用することは、相当に難しいことだ。心から「状況を良くするためには、自分が変わらないといけない」と思ったところで、結果変われないことも多い。覚悟をもった上で、自分の言動を変えているつもりでも状況が変わらない場合によくあるのは、その自己変革が不十分・不適切なケースである。特に、企業の中でハイパフォーマーとして個人で成果を出してきた人にはその傾向が強い。そして、こうした人々は業務に当たる上での「主義」を持っていることが多いようだ。

 主義とは、「持ちつづけている考え・方針・態度」を意味するが、「仕事はこう進める」「仕事を進める上ではこうした価値観を重視する」といった信念と言い換えてもいいだろう。高いストレッチ目標を掲げてその達成に必要だと思われるタスクを徹底的に完遂する『完璧主義』、事実情報を押さえて分析、判断しようとする『現実主義・事実主義』、細かい事情を捨象して業務を進める原則を貫くことで結果、個別事情によらず成果を上げる『原則主義』など確かに業務の精度を高め、成果を創出するに重要な考え方だと感じられる。また、一個人にフォーカスして言えば、業務の中で知見を蓄積しその結果として物事に対処するスタイルを「主義」として確立することは成長にとって不可欠な要素だといえる。

 但し、問題はこの個人が確立した主義を、部下であっても他人に押し付けたり、組織を動かす前提にしたりするところから始まる。つまり、本人が『完璧主義』だと思っていることも、業務のやり方に唯一絶対はないのだから、他人にとれば、誰かが必要だと考えたタスクをやりきることを求められているにすぎない。『現実主義・事実主義』を説けばうまくいきそうだが、人によって現実や事実の認識は違うのは当然でその見方のすり合わせをしなければいつまでたっても平行線のままである。同様に『原則主義』を説いたところで、今困っているのはその原則が適用できないことなのだと相手に思われたら、話が成立しない。個人が経験を通じて得て、時間をかけて言語化し、大切にしている「主義・主張」であっても、それを前提として他人と交わることはその「主義・主張」を掲げるに至った過程を共有すること以上に難しいのだ。「主義・主張」を伝えることは相手に自分を理解させる上では有効なツールだが、露骨に「議論」や「対話」にそれを持ち込むことは得策ではない。どんなに未熟に見えても、相手もこれまで生きてきた経験から何かしらの「主義・主張」を持つ人間なのである。自分を理解させる手段として「主義・主張」を伝え、時間をかけてそれを共有しあくまで「考え方のすり合わせ」を行うことが必要だろう。注意すべきことは、個別の結論の判断基準に「主義・主張」を持ち込まないことだ。

 また、個人が確立した「主義・主張」が本人にとっての足かせになることもある。自己変革をしようと思っても実は「主義・主張」は間違ってないという前提で、自己を捉えてしまうことがよくある。ここで重要なのは、「主義・主張」の持ち方であり、その発揮の仕方である。個人が得た「主義・主張」を否定する必要はないが、今の状況に合わせてその見解をどう応用するかが考えどころなのだ。そして、それができなければ自己変革は実現しない。見落としがちだが、自己変革が不十分・不適切なケースの落とし穴はここにある。もし、現状をよりよくするために、応用できない「主義・主張」を自分が持っているということに気づいたら、それを捨てる必要はないにしても「今はそれを持ち出さない勇気」をもつことが必要になる。

 業務に対処する定見として「主義・主張」を持つことはやりがいを感じて仕事をし、成果を出す上でも非常に重要なことだ。但し、その「主義・主張」の犠牲者に自分がなってしまっては元も子もない。作家塩野七生は、犠牲者とは、「犠牲になる気は毛頭なかったにもかかわらず、その感情をあまりにも強く持ってしまったために、我とわが身を滅ぼす結果に終わった人」と定義していたが、正に言いえて妙。現実には複数の見方が存在し、多様な人がいる。どんなに素晴らしい言説も、使い方次第、バランスのとり方が重要なのだ。

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