2010.06.09
ソーシャル・イノベーションに何を学ぶべきか?
「ソーシャル・イノベーション」と聞いてピンとくる方はどれくらいいるだろうか? 1974年、バングラディッシュを襲ったサイクロンの影響で多くの国民が飢饉と貧困に苦しんでいた。その当時、ムハマド・ヤヌス氏はバングラディッシュの首都ダッカにあるチッタゴン大学で経済学の教鞭をとっていたのだが、同じ国の仲間の苦しみを目の当たりにしたムハマド・ヤヌス氏は、そこで何もできない自分に耐えがたい思いを募らせていた。同時に「苦しむ人々に何かできることはないか」という強い思いを抱いていたという。実はこの思いこそがグラミン銀行のシーズなのである。 それから約30年後の現在、グラミン銀行は70億米ドル相当を760万人に貸し付け、働く人は2万8千人に及ぶ。また、顧客である借り手の97%が女性であり、その返済率は何と99.5%である。まさにグラミン銀行はイノベーションを起こしたのである。 ・銀行は金持ちを、グラミン銀行は貧しい人を 特に、女性をターゲットにしているのはバングラディッシュでは女性が一番弱い立場にあるためだからです。彼女たちにとって、グラミン銀行は無くてはならない存在であるため、この仕組みが滞ると彼女たちは何を失うか、それをはっきりと認識しています。」 1983年に貧しい人々のために金融サービスを始めたグラミン銀行は、その6年後の1989年に世界中のマイクロファイナンス組織への訓練と技術支援、経済支援を始めている。更にそこからの15年の間に、農業・畜産技術と生産性向上のための人材育成支援、製造製品の輸出、ベンチャーキャピタル、貧しい人たちへの通信サービス、エネルギー資源の刷新、携帯電話サービス、ITソリューション開発、電化製品の製造、ヘルスケアサービス基金、栄養食品の提供と事業領域を拡大し益々成長している。これらの成長の原点には、常に貧しい人たちが自立できるようにする仕組みが働いている。そして、このようなソーシャル・イノベーションの概念が注目を集め、ダノンとの合弁事業が開始され2006年に「グラミン・ダノン・フーズ」が発足した。ダノンが提供する栄養価の高いヨーグルトを栄養不足の子供達に配給するための事業で、この子供達にヨーグルト販売を通じて子供たちに栄養補給を行う。そして、グラミン銀行とダノンは、投資資金の範囲を超えたこの事業からいかなる利益配分を配当も受け取らない事を合意している。これに続いて、フランスのヴェオリアとの合弁会社を設立し、バングラディッシュの5万の農村地域に清潔な水を供給するプラントを建設している。
一般的にソーシャル・イノベーションとは、世界の社会的問題を認識し、その解決を目的としたビジネスの創出を通じて社会そのものの変革を担うイノベーション活動のことであるが、世界的に認められた「ソーシャル・イノベーション」の代表的な実例はグラミン銀行である。グラミン銀行の創始者であるムハマド・ユヌス氏は2006年にノーベル平和賞を受賞している。その功績は「底辺からの社会・経済発展の創造に対する努力」として認められている。では、グラミン銀行の起こしたソーシャル・イノベーションとは何であったのか?それを知るには同銀行の発足の契機に遡らねばならない。
その後、もう1つの出来事がムハマド・ヤヌス氏をある行動へと駆り立てグラミン銀行のシーズから芽が出ることにつながっていく。その出来事は、バンクラディッシュのある村で借金の返済に苦しむ村人42人に遭遇した時のことであった。何と、村人達の借金の総額は僅か27米ドルにすぎなかった。それにも関わらず、村人たちは日々過酷な労働を強いられながら借金を返済していた上、悪徳な高利貸しと交わした法外な金利による契約があったために完済する目途が全く立たず、最低の生活から一向に抜け出せないままでいたのである。この事実を目の前にしたムハマド・ヤヌス氏は村人に27米ドルを貸す事を決めたのだが、その時は単に助けたいという思いからの衝動的な行動であった。その時の心中を彼はこのように顧みている「このような僅かな金額で人々が幸せになるのであれば、もっと行うべきなのではないか?何故ここまで苦しむ必要があるのだろう」。この衝動的ともいえる行動は、結果的に後のグラミン銀行の最初の一歩となった。
ではイノベーションのポイントは具体的には何であったのか?ムハマド・ヤヌス氏は一橋ビジネスレビューの誌面で次のように語っている。
「当初、私の考え方に対して、バングラディッシュの銀行家や世界銀行などの国際機関は極めて懐疑的でした。担保を取らずにうまくいくはずが無い、そんな小額で貧困が救えるわけが無い、女性に貸すなんて馬鹿げている等々。しかし、完全とはいいませんが、私たちはこれまでに大きな成功を収めてきたと自負しています。この成功の第一の理由は、まさに私が銀行のことを何も知らなかったからなのです。いわゆる銀行業務の常識や習慣を知らないために、私たちはそれまでの常識にとらわれずに正しいと思う事をやることができたのでした。そして、大成功の第二の理由は、これまでの銀行がやってきたこととは全く正反対のことをやったからだったと思うのです。
・銀行は高額取引を、グラミン銀行は小額で
・銀行は業務を都市部で、グラミン銀行は農村で
・銀行は担保を取り、グラミン銀行は何も取らない
・銀行は男性を、グラミン銀行は女性を
・銀行は顧客を呼びつけ、グラミン銀行は客を訪ねる
・銀行は顧客の履歴に興味があり、グラミン銀行は顧客の未来にだけ興味がある
失うものとは「貧困からの脱出の機会」に他ならない。だからこそ、返済を怠る事がないそうだ。まさにグラミン銀行はグラミン銀行のためにあるのではなく、グラミン銀行を必要とする人のためにある事がよくわかる。
グラミン銀行のソーシャル・イノベーションは、世界の企業をパートナーとして呼び寄せている。企業側も当初のビジネスでは社会性を重んじているものの、長期的には自社のブランド価値をしっかりと根付かせ、バングラディッシュが発展した先を見つめている。しかしその一方で、ダノンやヴェオリアを批判する声もある。それはBOP(Bottom of Pyramid)ビジネスのコンセプトに関係するもので、世界60億人の人口ピラミッドの底辺の40億人は1日2ドル未満で暮らしていると言われている。この40億人の貧困層は巨大な市場であり、多国籍企業にとってはビジネスチャンスになるため、BOPビジネスに触手を伸ばすのは搾取であるといった批判があるのだ。
しかし、グラミン銀行のような強固な使命感と存在意義をもった『ソーシャル・エンタープライズ』とのパートナーシップを持つことができる意義は大きい。グラミン銀行は、これから先も『ソーシャル・エンタープライズ』の立場を貫くだろうし、自社の理念に基づく経営をすることだろう。そこからダノンもヴェオリアも新たな成長の在り方を学ぶはずだ。両社が学ぶ事は「投資家のための利益の最大化ではなく、社会問題を解決するために利益を上げるという新しい資本主義の在り方」だろう。そして、そこにはまだ見ぬ美しいブルーオーシャンがあるのではないだろうか。
アーリーバード