2021.08.13
ひぐらしなく
この夏はじめてのひぐらしを聴いた。
カナカナと木立を渡る澄んだ響きには晩夏の淋しさがある。死者のささやきのようにも聞こえる。
そんなことを思いながら古い引き出しを片付けていると、黒縁の武骨なメガネが出て来た。父の遺品である。ふとカレンダーを見ると月命日で、しかもお盆だ。これは思い出せとのお達しであろうと、眼鏡をかけてみる。そう言えば今年、わたしは鬼籍に入ったときの父と同い年になっていた。年が明ければ年上の息子になるのかと、もの想う。
片付けが終わってビールの栓を開けた。無意識にテレビをつける。画面には終戦を迎えようとしている日本の映像が流れている。終戦の年、特攻を志願した父は、鹿児島の鹿屋にあった特攻隊の基地でその日を待っていた。まだ十六歳だった父が日本の次世代のための捨て石になろうと決意していたのだ。終戦が一週間遅れればこの世にはいなかったという。つまり、わたしもいなかったのである。
そんな体験を持つ父の言動は、わたしの幼い脳裏に戦時下の深い残影を落とした。だからだろうか、この夏、東京オリンピックで競い合うアスリートたちの姿にも、戦争の影と平和の光を探してしまうのだ。
わたしには昭和の東京オリンピックの記憶が鮮明に残っている。その時わたしは、国家の威信を背負って戦う選手たちを見た。周囲には勝てば英雄だが負ければ非国民といった空気さえあった。柔道で神永昭夫選手がオランダのアントン・ヘーシンク選手に敗れた時、真一文字に口を結んで目を潤ませ、絞り出すように「腹を切るなよ」と呟いた父の横顔が忘れられない。敗戦の焦土を見た大人たちの思いは、子どもだったわたしにも伝搬していた。だが、2020東京オリンピックにその残影を見つけ出すことは難しい。確かに日本人選手がメダルをとることに歓喜した。その数の多さに興奮もした。しかしそれは逝きし日のそれでなかった。あるのは、戦時下ではないのだという愁然とした感慨だけだった。
それにしても、若いアスリートたちのなんと自由であることか。なんと楽しそうであることか。
その兆しはシドニーオリンピックの頃からあった。国のためではなく自分のために競い合う選手たちの姿が新鮮だった。しかし、2020東京オリンピックはそれとも異なる表象を見せた。
それは、個人的な世界に閉じられたものではなかった。自由と楽しさを心から分かち合おうとしていた。とりわけ印象的だったのはスケートボード女子のパークだった。彼女たちは共に競い合う選手を仲間だと言った。現に彼女たちは、果敢に挑んで失敗し俯く選手に駆け寄って、挑戦したことへの勇気を称え励ましていた。肩を抱く者もいたし肩車する者もいた。現に彼女たちは、果敢に挑んで成功した選手に、惜しみない笑顔と尊敬の拍手を送っていた。抱き着く者もいた、自分の記録を超えたものに心から破顔する者もいた。それらは自国の選手同士の行為ではない。そこには、国境の壁も、人種の壁も、世代の壁も、敵味方の壁さえも存在していなかった。未来そのものでもある若者たちの姿は、ただただ明るく微笑ましかった。その光景を世界が見たのである。
「わたしは今、とても美しいものを見ている」
不覚にもわたしは涙を禁じえなかった。新しい世界の予兆を見た気がしたのだ。二つの東京オリンピック、この明らかな対照を感じることのできる世代は限られている。だからこそ、投じるべき一石があり、語り合うべきことがある。
オリンピックのメダル獲得数を見ると、スポーツの振興に投じることのできる財の多寡、即ち国の豊かさに相関しているように思える。それは、コロナ禍の世界におけるワクチンの供給量とも符合する。真に公正なルールの下で競い合うのならば、その差はあってはならず、オリンピックもその格差を是正する作用を持つ必要がある。そうでなければ、単なる国家間の豊かさのコンテストではないか。しかし、そのような仕組みをつくってきたのはわたしたちの世代なのだ。
国の豊かさは、それぞれの国の産業的な努力を別とすれば、紛争のない平和な環境が根底となる。清潔で健やかに暮らせる環境も不可欠である。競技者を取り囲む人々の精神的な成熟度と、成熟度を高める学習環境も重要だ。先進国が破壊してきた自然のもたらす災害も大きな要因となる。いずれも格差を是正するための課題だ。
これからのオリンピックが目指すべきは、あの美しい光景を世界の隅々にまで広めることではないだろうか。そのためにも、オリンピックが動かし得る巨大なマネーを少しでも格差を是正するための課題に向けることは出来ないだろうか。
しかし、20世紀がつくり上げたオリンピックシステムは強固だ。IOCの収益の90%が投じられているというスポーツ振興のための分配金がつくる複雑な利権の構造も変化を妨げるくびきとなっている。変えることは容易ではない。
それでも、と思う。あらゆる壁をやすやすと超えて見せたあの世代が社会の中枢を担う時代になれば、オリンピックも変わるかもしれない。ならばわたしたちはさっそうと道をあけ、あらゆる努力を尽くして背中を押そう。
2020東京オリンピックを誰よりも父と一緒に観たかった。叶うことなら未来のオリンピックについて語り明かしたかった。
窓の外ではしんしんとひぐらしが鳴いている。
方丈の庵