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2007.08.16

『品格』は人を育むコンセプトになりえるか?

【品格とは何なのか】

 昨年、数学者である藤原正彦教授の『国家の品格』が2006年度のベストセラーになり、同年の流行語には『品格』が選出された。最近では、テレビ・ドラマのタイトルにまで引用されている。それまで、『品格』という言葉は現代の社会生活の中では死語になりつつある言葉の一つであったと言えよう。そういった意味で、私たちに『品格』とは何かを考える機会を与えてくださった藤原教授には、謝意を述べておきたい。

 さて、あらためて『品格』とは何かを考えてみた。調べていくにつれ、それはまさに人の内面、精神性を指し示すことなのだという事を再認識させられた。誰もが『品(ひん)』と聞いて真っ先に思い起こすのは「上品」「下品」(じょうひん、げひん)だろう。この「上品」「下品」、もとは「じょうぼん」「げぼん」と読むのだそうだ。仏教用語で、特に浄土教では九品と云って浄土に往生するものを、その能力・性質などから九種類に分け、それらを上品上生、上品中生、上品下生、中品上生・中品中生・・・・下品下生と定め、浄土教の往生に於ける上位と下位を意味する言葉であったらしい。
 その中にあって特に興味深いのは、下品(げぼん)の者の位置づけである。そこでは「悪しき行為を恥ずかしいと思わず、名誉や利欲のために語り、悪業で自身を飾る愚か者」。としている。ここ数年、日本の政財界に下品(げぼん)の者が多かったように思うが、浄土教に従えば、彼等は地獄行きの切符を手にしたことになるらしい。

 話を元に戻そう。下品(げぼん)の者とは、卑しい心のありさまと、それに従う悪しき行いを行う者を意味しており、まさに人の内面を問題にしている。下品(げぼん)に対する上品(じょうぼん)もまさに人の内面である。それは、慈悲に満ち溢れ、高潔な心を持つ人の心と、その心に従う行いを意味している。
 人の持つ内面はどんなに隠そうとしても、最後は外面(表情や言動)に出るものだ。そして、私たちはまさにそれを、『品』と言っているのだ。つまり『品』とは内面であるが、結果として内面を投影した外面に現れるので、私たちは主に『品』のあるなしを外面から判断している事が多い。しかし、『品』の本質は内面にある。その内面にのみ目を向けて、『品』を九段階に格付けたものが九品であって、決して外面に惑わされてはならないという教えなのである。
 現代に生きる私たちは、『品』を九段階に分けて認識することはできない。しかし、『品』が人の内面を意味するのであれば、『品格』を高めるという意味が、自分自身の内面、精神性を高めることに他ならない事だと再認識することは可能なはずだ。

【若年層の育成と品格】

 『品格』を高めるとは、自分自身の内面、精神性を高めることだという事は確かだろう。それは、自尊心を持つことでもある。自尊心はよくプライドと間違えられているが、自分で自分の価値を知り、自分自身を大切にする心のことだ。それ故に、自分自身の価値を他人に侮辱されて腹が立つようであってはならない。自分の価値を知っていれば他人に何を言われようと気にはならないはずだ。そこで腹をたてるようでは、自分の価値よりも他人の評価を価値にしていることになる。
 残念ながら、自尊心を感じられる若年にお目にかかることはなかなかできない。皆、一様に個性やオリジナリティを口にするも、その実は所属的差別化意識に支配されている。それは、音楽、ファッション、様々なブランドを媒介にした自己表現でしかない。
 そんな時代だからこそ、ハンカチ王子やハニカミ王子が話題の中心人物となるのは、ある意味当然の事だ。彼等の試合に打ち込む姿、記者会見などでの言動を通じて、私たちは彼等の内面を感じとっている。彼等が野球やゴルフを通じて真剣に試合に臨む姿を見るとき、私たちは彼等の中にある「何か」を感じ取っている。
 スポーツの世界では、精神性を重視した教育が行われる。礼節を重んじ、失敗に学び、課題を克服する事が繰り返される。その経験と学習と、本人の人柄があいまって、私たちは両王子の『自尊心』を感じとっているのだ。これこそ若年層の『品格』に他ならない。
 あらためて、『品格』とは自分自身の内面、精神性を高めることであり、スポーツは若年層の『品格』を高めるために極めて有効だと言える。
 但し、この事を理解した指導者のもとでというのが大前提だ。『品格』ある若年層の育成には、その育成方法を理解した『品格』ある指導者の育成が先決なのは言うまでもない。

 『品格』ある指導者の育成については、WHO(世界保健機構)が提唱するライフスキル教育プログラムの中核となるスキルを学ぶ事を推奨したい。
 WHOによると、ライフスキルとは、「日常生活で生じる様々な問題や要求に対して、建設的かつ効果的に対処するために必要な能力である」と定義され、そのスキルの構成要素は、次の通りである。
 「意思決定」、「問題解決」、「創造的思考」、「批判的思考」、「効果的コミュニケーション」、「対人関係スキル」、「自己認識」、「共感性」、「情動への対処」、「ストレスへの対処」

 これらの要素を見ただけでも、私たちが学校教育で習ってきたそれとは全く違う視点から構成されていることがわかる。少なくとも、今日の学校の教科学習ではこれらの要素を身に付けられるものではない。スポーツやその他クラブ活動を通じて理解、習得させていくことが望ましい。学校やクラブ活動の指導者達に対して、ライフスキルの資格認定制度を取り入れるなど、指導者に対する教育改革を進めるべきだ。少なくとも、ハンカチ王子、ハニカミ王子の学校教育、家庭教育についてライフスキルの視点から観察することで、世の指導者は多くを学べるはずだ。是非とも試みて欲しい。

【角界にも王子を】

 最近の話題でいえば、横綱の品格とは何かをおおいに考えさせられた。これは、相撲協会、横綱審議会、親方衆、横綱自身、それぞれについて問い直すべきだろうが、ここではそれらを包含した力士教育問題として触れておきたい。こと朝青龍に関して言えば、横綱教育以前の問題だ。そもそも力士教育ができていなかったのではないかと考えられる。
 伝統を重んじてきた角界において、過去の典型的力士教育は、中学卒業の入門と同時に行われてきたものだ。入門したての15歳の少年の体力では、とても他の力士達と同じ稽古をすることは不可能だ。まずは力士とは何なのか、その精神を掃除・洗濯・ちゃんこ番などを通じ、充分な時間をかけて徹底的に叩き込まれる。心技体で言うところのまずは『心』からだ。しかしここ数年、力士も学卒者が増え、そういった精神論を育む時間も少なくなる傾向にある。そこにきて、朝青龍の出世は早く、バランスのとれた力士教育を十分に施す間もなく、技・体を求めていったことだろう。朝青龍には力士の『心』を十分に教える事はできなかったはずだ。
 『品格』は自分自身の内面、精神性を高めることだと言った。残念ながら朝青龍に力士の『品格』を十分に育む時間は無かったのだ。恐らくは、朝青龍問題の本質は高砂親方の力士教育の問題だけではなく、時代の変化に対応し、力士教育を見直すことをしなかった相撲協会の問題に行き着くはずだ。相撲協会の組織統制力の無さこそが根本の問題だ。
 相撲協会は、今一度力士教育を抜本的に考え直さなくてはならない。力士の『品格』とは何か?を徹底的に考える事で、その方向性は見えてくるはずだ。
 最後に、個人的には角界からも魅力的な「ウッチャリ王子」が現れる事を期待したい。

アーリーバード

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