2025.11.10
長老型リーダーシップ(1)
地球上の哺乳類の中でホモサピエンスだけに老後があるのだそうだ。
他の生物は老いて生殖活動期を終えると死ぬのだが、ホモサピエンスはその後も長く生き続ける。老後は必要だからあると言う。主たる用途は3つある。
一つ目は、子供を育てるための用途だ。例えば、馬は生れ落ちてすぐに走り出す。一年もかからず成獣になる。ホモサピエンスはと言えば、しっかりと走れるようになるまで何年もかかる。大人になるまでに十数年も要する。ホモサピエンスはあらゆる生物の中で際立って成長が遅い。育てるための労力も多くを必要とする。働き盛りで忙しい親に代わって子供を養う労力が必要になる。そのために老後が必要になる。
ところで、家庭や地域における共同体には四つの機能がある。相互養護と、相互教育と、相互生産と、相互消費の四つの機能で、これが社会的な共助の構造を成していた。このうち相互養護には老後を迎えた高齢者が重要な役目を担ってきた。高齢者が働き盛りの親に代わって子を養う。高齢者にいよいよ介護が必要になれば、育てられた子が助ける。そうして相互に養護する。このように、かつて高齢者は社会的な共助の要となっていた。ところが現代では、子は保育所に、高齢者は介護施設にと、アウトソーシングが進んでいる。家庭や地域における共同体から、相互養護の機能は消失しつつある。加えて少子化も進展している。育てるという用途において、老後は社会的な必要性を失いつつある。
二つ目は、知識や経験を伝承する用途だ。地球上でホモサピエンスが繫栄してきた大きな要因が経験に基づく知の伝承にある。ここに言う知の中には、多くの経験を積んできたからこその達観した物事の捉え方も含まれる。生きていくための術も、学び方も、心の在り方も含まれる。
家庭や地域の共同体における相互教育の機能においても、高齢者は重要な役目を担ってきた。本来教育の主体は家庭であり地域の共同体だった。そこで人としての生き方を教育した。だからこそ高齢者の経験が役に立った。専門的な知識や技能が不足すれば、そこだけ他の専門家に委ねた。ここでも、かつて高齢者は社会的な共助の要となっていた。ところが現代では、全てを学校や塾にアウトソーシングしている。家庭は教育の主体を明け渡し、教育をお金で賄う客となった。加えて大家族が消失し、都市化と核家族化で家庭も孤立した。知識や経験を伝承するという視点でも、老後は社会的な必要性を失いつつある。
三つ目は、家庭や共同体における緩衝役となる意義だ。人生経験が豊富な存在として、悩む人の話を聞いてあげる。現役から一歩引いた存在として、対立を解消するために働きかける。成熟した存在として、いるだけで場の雰囲気を和ませる。
とかく利害の対立が生じやすい相互生産の機能において、老後は重要な役目を担ってきた。老後とは、精神が成熟した状態を言う。成熟とは、感情が安定し、理性的に判断でき、寛容で他者を尊重する心を持っている状態を言う。成熟した高齢者が、未成熟な者たちの軋轢を和らげる。やはり高齢者は社会的な共助の要となっていた。ところが現代では、会社勤めが進展し、仕事は家庭や地域の共同体から切り離されて、やはりアウトソーシングされている。家庭や共同体における緩衝役という視点でも、老後は社会的な必要性を失いつつある。
このように必要性を失いつつある老後だが、医学の進歩のせいもあり、その期間を増やしつつある。必要性を失って尚、活かされない社会的な資産が増えつつある。
ここで企業に目を転じてみよう。近年、社員同士の家族的な繋がりを求める風潮が広がりを見せている。在宅勤務を余儀なくされたコロナ禍を経てのことだろうか。慢性的な人手不足の中で離職率を下げたいのだろうか。ハラスメントが社会的な問題となっているからかもしれない。社員に心理的安全性をとする声が増えているのもそのためか。
もし家族的な経営を求めるのなら、社員だけではなく、社員の家族も含め、家庭や地域の共同体における四つの機能の内、企業にも相互養護と相互教育の機能を持たせればよい。特に地域の共同体が失われつつある都市部において、企業が中心になって、あたかも地域の共同体であるかのような共助の関係性をつくればよい。そのことにより企業組織の本来的な機能である相互生産の機能も強化できるかもしれない。そのような共同体の中では、第一線を退いた高齢者の老後が役に立つ。
もし家族的な経営を求めるのなら、老後を迎える社員にも準備が必要だ。高齢者には長く生きてきただけの経験がある。本来、経験は価値だ。しかし多くの場合、経験は単なる出来事の記憶にとどまっている。それでは価値にならない。価値にしなければ、思い出話をするだけの老人になってしまう。ではどうすれば、経験を価値にできるのだろうか。
次回は、その具体的な方法に迫ってみたい。
方丈の庵