2025.11.25
なぜ酉の市は途絶えないのか? -行動科学と経済構造から読み解く文化の持続性-
毎年11月の酉の日になると、浅草の鷲(おおとり)神社をはじめ、全国の大鳥・鷲神社で酉の市が開かれる。特に浅草は圧巻で、熊手の露店だけで約150軒、屋台や飲食の出店は750軒にも及び、来訪者は 年間70〜80万人規模 とも言われている。夜が更けても人が絶えず、境内には屋台の匂い、手締めの響き、威勢のいい掛け声が混ざり合い、まるで街ごと熱気に包まれたようだ。
酉の市の起源には諸説ある。武家の戦勝祈願として生まれた説、11月の収穫祭が原型という説──いずれにせよ、「願いを託す場所」として人々が集ってきたのは確かだ。江戸から続くこの祭りは、時代が移り、人々の暮らしが変わっても勢いを失わず、むしろ年々にぎわいが増している場所すらある。
ではなぜ、この酉の市はこれほど長く途絶えず、今なお勢いを増しているのか。
文化だから、伝統だから、という言葉だけでは説明できない“構造”がそこにはある。
その背景には、行動科学の観点から見た「続く理由」と、酉の市独自の「経済構造としての強さ」の二つが、見事に組み合わさっている。ここからは、その二つを順に見ていきたい。
■1. 行動科学で読み解く「祭りが続く理由」
酉の市に限らず、人が長く続けてきた祭りには“共通する力”がある。これは民俗学の研究でも、行動科学の知見でも共通して語られてきたテーマだ。まずは、他の祭りに共通して見られる“続くための構造” を取り上げつつ、酉の市にもどのように当てはまっているのかを見ていく。
①「時間ベースの習慣形成」が“行くのが自然”という空気を生む
多くの祭りは“毎年決まった日に行われる”。この繰り返しが、人の行動を自然に習慣化する。お盆、初詣、七夕──これらは“次の季節が来たから行く”という感覚で続いてきた。行動科学では、このように 時間や季節が行動のトリガーになる現象 を時間ベースの習慣形成(time-based habit) と呼ぶ。酉の市もまさにこの構造だ。11月の酉の日が近づくと、「ああ、今年もそんな時期か」と思い出す。カレンダーの中に“自然に存在している行事”として刻まれ、行動が継続される。言い換えれば、酉の市は“行くこと自体が自然な季節行動”として定着している。
②「共同体への所属感」が“また行きたくなる気持ち”を生む
京都の祇園祭や青森のねぶた祭──多くの祭りでは、人が集まり、同じ振る舞いをし、一体感が生まれる。民俗学ではこれを「共同体の確認儀礼」と呼び、行動科学でも 所属欲求(belongingness) を満たす強い体験として知られている。酉の市でも、この“一体感の力”が強烈に働く。熊手が一つ売れるたびに、境内に「よーっ、パン!」と手締めが響く。見知らぬ人同士がその瞬間だけ“仲間”のように笑い合い、同じ空気を共有する。この“一瞬のつながり”が生む安心感や充足感は、人をもう一度そこに戻したくなる力になる。「誰かと同じ願いを共有したい」「あの空気に触れたい」──そんな気持ちを静かに呼び起こす。酉の市が単なる買い物ではなく“行きたくなる場所”として成立しているのは、この所属感の力が大きい。
③「象徴」が行動に理由と物語を与える
七夕の短冊や節分の豆まきのように、祭りには必ず象徴的なアイテムがある。象徴があることで、人は“その行動に意味を見いだしやすくなる”。行動科学では、これは 理由付け(reason-giving) の働きとして知られており、「理由がある行動は続きやすい」とされている。酉の市では、その象徴が熊手だ。熊手は「運をかき集める」象徴であり、行く理由、買う理由、願う理由を自然に与えてくれる。象徴によって行動の物語が生まれ、物語によって文化が受け継がれていく──これは多くの祭りに共通する構造だ。
■2. 酉の市“ならでは”の特異点
酉の市は、ここまでの“共通ルール”を踏まえつつ、さらに 追加して 独自の力が働いている。この追加部分こそが、酉の市を際立たせる最大の理由になっている。
④熊手は“一年限り”──更新前提の文化
酉の市で最も特異なのは、「熊手は一年限り」という慣習だ。
- 古い熊手は神社に返納し、翌年あらためて新しい熊手を迎える
- しかも“前年より一回り大きいものを買う”のが粋
- 熊手は「願いの更新」「成長の象徴」に位置づけられている
これは他の祭りの縁起物にはほぼ見られない、“更新前提の構造”だ。言い換えれば、熊手は“アップデート型の象徴物”であり、文化の習慣化を強烈に後押しする仕組みとして機能している。酉の市の熊手は、300年以上前から存在する“サブスクリプション的モデル”と言っても過言ではない。
⑤熊手商という経済循環が文化を支える
酉の市は、祭りであると同時に“巨大な市(マーケット)”でもある。熊手職人や出店者の多くは、この時期の売上が生計の柱となる。
- 熊手が売れる
- 商人が支えられる
- 来年も出店が続く
- 境内がにぎわう
- さらに人が集まる
経済の循環が、文化の継続性を下支えしている。“文化と経済の相互補強”という構造が酉の市には明確に存在する。
⑥酉の市は“願望が立ち上がる季節”に行われる
酉の市が行われる11月は、年末の足音が近づき、一年を振り返り、来年を意識し始める時期だ。行動科学でいう フレッシュスタート効果(fresh start effect) が働き、“願いが言語化されやすい季節”でもある。そのタイミングで熊手という象徴が目の前に現れる。──この季節に酉の市があるのは、行動科学的に見ても非常に理にかなっている。
■文化は偶然続くのではなく、構造によって続く
酉の市を改めて見てみると、
- 祭りに共通する普遍的な行動構造(儀式性・共同性・象徴)
- 熊手という“更新前提の象徴物”が生む継続性
- 市としての経済循環が文化を支える仕組み
- 願望が立ち上がる季節性という追い風
こうして見てみると、酉の市は偶然続いてきたわけではなく、“続くようにできている行事”なのだと思う。決まった時期、仲間と共有する一体感、願いを象徴する熊手──この3つが揃うと、人は自然と行動を続ける。
文化の継続性は、私たちの仕事にも日常にも通じる。新しい仕組みをつくるとき、組織文化を根づかせたいとき、人の行動を変えたいとき──こうした“続くものの構造”を少しだけ借りてみると、物事は驚くほど動き出す。続くものには、続く理由がある。その理由をうまく活かせば、私たち自身の“続けたいこと”も、もっと続いていくのかもしれない。
おおたか