2026.04.06
物事をフローではなくストックで考えてみること
2026年4月から「子ども・子育て支援金制度」がスタートしました。医療保険料に上乗せされる形で徴収されるこの制度は、子育て支援の財源を安定的に確保することを目的とした少子化対策の一環として創設されたものです。こども家庭庁によれば、被用者保険に加入している人については、2026年度の支援金率は一律0.23%で、2026年4月保険料分から拠出が始まっています。
「子ども・子育て支援金制度」に対する世間の反応は必ずしも好意的とは言えません。「独身税ではないか」「なぜ(子どもがいない)自分も負担しなければならないのか」といった声が多く聞かれます。子どもを持たない世帯にとっては、直接的な受益が見えにくいため、負担だけが増えるように感じることでしょう。この制度によって毎月の可処分所得は確実に減ることになり、物価高が続く現状ではダブルパンチになることも背景にあります。
この制度の評価は、どのような時間軸で考えるかによって大きく変わります。ここで重要になるのが「フロー思考」と「ストック思考」という二つの考え方です。
フロー思考とは、現在の収支、すなわち“今の出入り”に着目する考え方です。この制度に当てはめると「毎月いくら負担が増えるのか」「自分にどれだけの直接リターンがあるのか」といった観点で判断することになります。一方、ストック思考は、将来に積み上がる資産や構造に目を向け、「自身の資産に対して長期的にはどのような価値が付加されるのか」「この制度が将来の社会にどのような影響を与えるか」といった視点で判断します。
日本の現状を踏まえると、この違いは非常に大きな意味を持ちます。日本の2024年の出生数は68万6061人で、すでに70万人を下回りました。人口減少は単なる数字の問題ではなく、労働力の減少、消費の縮小、地域経済の弱体化、社会保障制度の持続可能性の低下など、国家の基盤そのものに影響を及ぼす構造的な問題です。言い換えれば、子どもが減ることは、将来の「納税者」「働き手」「社会の担い手」というストックが減り続けていることを意味します。
この観点から見れば、「子ども・子育て支援金制度」は単なる負担増ではなく、将来の社会基盤を維持するための投資とも言えます。今の子ども(赤ちゃん)は、20年後、30年後の労働力であり納税者であり、社会を支える主体となる存在です。将来の労働力や社会保障の担い手が維持されることで、私たち一人ひとりの生活の安定や将来の安心にもつながります。その意味で、この制度に限らず少子化対策は“未来のストック”を形成する施策であり、受益者は子育て世帯に限られず、長い目で見れば将来の国民全体だと考えることができます。
(注意)ここでは当該制度が少子化対策に有効かどうかの判断はせず、有効なものだとして論を進めています
このような政策を実施するとなるとフロー思考とストック思考の対立が生まれます。フロー思考は「今の痛み」を強く意識し、ストック思考は「将来の持続性」を重視します。どちらも合理的な視点ではあるものの、少子高齢化が進む日本においては、ストック思考の重要性が一段と高まっているといってよいでしょう。少子化抑制施策がうまく機能して子どもの数が増えてきたとしても、子どもが成長して成人し納税できるようになるには20年近い時間が必要です。少子化対策の効果は20年近い時間を経て現れるものであり、その性質からストック思考の施策そのものだと言えます。
近年、徐々にストック思考へシフトしていることは、様々な観点で見ることができます。企業経営では、短期的な利益最大化よりも、人材育成や研究開発といった長期投資が競争力の源泉とされるようになりました。環境政策でも同様で、日本ではGX(グリーントランスフォーメーション)や脱炭素投資が進められており、足元ではコストがかかったとしても、将来のエネルギー安定供給や産業競争力の維持につながるものとして位置付けられています。
個人の判断においてもストック思考の重要性はよく分かります。たとえば就職活動で、初任給が高い企業にだけ着目するのはフロー思考です。確かに初任給は分かりやすく魅力的でしょう。一方ストック思考では、初任給だけでなく、企業年金、退職金、人材育成制度、異動や挑戦の機会、社風、働く人たちのエンゲージメントなど、長期にわたって蓄積されるメリットを複合的に考えます。最初の1年の給与だけを見て判断するのか、10年後、20年後の成長と安定まで見て判断するのか。その違いが、まさにフロー思考とストック思考の違いです。
また、資産形成への考え方も大きく変わってきました。国は「貯蓄から投資へ」という流れを後押しするため、新NISAを2024年から恒久化し、非課税保有期間を無期限化しました。これは、目先の預金残高だけを見るのではなく、長期・積立・分散によって資産というストックを育てていこうという発想です。社会全体でも個人生活でも、いま求められているのは、単年度の損得だけでなく、将来に何が残るのかを見る視点なのです。
では、なぜストック思考にシフトし始めているのでしょうか。その背景には、社会全体の不確実性の高まりがあります。人口減少、技術革新、地政学リスク、インフレ、エネルギー問題など、将来を見通すことが難しくなる中で、短期的な最適化だけでは対応できない局面が増えています。だからこそ、将来の選択肢を広げる“基盤”をどう築くかが問われているのです。ストック思考がもてはやされているのではなく、もはやそれなしでは立ち行かなくなってきた、という方が実態に近いのかもしれません。
企業や社会だけでなく、私たち個人もストックで考える習慣を持っておく必要があります。ただ、単に「長期で考えよう」と言うだけでは、人々の行動は変わらないでしょう。ストック思考に移行するためには、いくつかの工夫が必要です。
第一に、長期の価値を「見える化」することです。少子化対策であれば、出生数や婚姻数、労働力人口への影響、社会保障の持続性への寄与など、具体的な指標で示すことが重要です。労働力人口の維持は経済規模や産業の持続性を支え、雇用機会や所得環境の安定にもつながります。GDP総額の多寡が人口数にほぼ直結していることからも、人口が経済規模に及ぼす影響は絶大です。また、社会保障の持続性は自分自身が受ける将来の年金や医療にも直結します。将来の便益が抽象的なままでは、人々は納得しにくいでしょう。そういう意味では、「子ども・子育て支援金制度」の趣旨や重要性、長期的なリターンが、まだ十分に説明されていないのかもしれません。
第二に、中間的な成果を設定することです。20年後の効果だけでなく、5年後、10年後にどのような変化が期待されるのかを示すことで、長期施策への信頼を高めることができます。
第三に、短期的な痛みを緩和する設計も必要です。ストック思考は「我慢」を強いるものではありません。短期的にも一定の納得感が得られる仕組みがあってこそ、長期投資は支持されるのです。
フロー思考とストック思考は対立するものではなく、本来は両立すべきものです。しかし、日本が直面している構造的な課題を考えれば、これまで以上にストック思考に重心を移す必要があることは間違いないでしょう。目の前の負担だけを見れば、「子ども・子育て支援金制度」は確かに痛みでしょう。しかし、その痛みの先に何を築こうとしているのかを考えたとき、その意味合いは変わってきます。重要なのは、短期の損得にとらわれることなく、中期・長期の視点で社会のあり方を捉えることです。
フロー思考から一歩踏み出し、ストック思考へ。それは単なる思考の転換ではありません。人口減少時代の日本において、社会の持続可能性を守るため、そして自分自身を守るためのきわめて現実的な選択なのだと考えます。
マンデー