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2007.09.18

「07年問題大学全入―大学2極分化」 ―企業公共団体能力構造の崩壊の危機と大学改革の視点―

「問題の所在と本質的理解の必要性」

 07年問題として指摘されていた大学全入の事実は、特に私学の40%に統廃合の危機的状況を招来し、同時に公私を問わず大学の国際水準の低下と相まって、企業公共団体の職種、組織機構の「能力構造」の崩壊という端倪すべからぬ事態が出現しつつある。我々はこの危機を直視して、その根本的改革を勇気をもって実行しなければならない。

 日本私立学校振興共済事業団の調査によれば07年現在大学550校中定員割れ校は40%の222校、短大400校中41%の164校に及んでおり、定員の50%割れが廃校のボダーラインとされている。既に東和大(福岡)、萩国際大(山口)など、廃校や募集停止に追い込まれた事例が有り、特に地方(定員割れ九州60%の如く)の影響が大きい。
 全入とは大学入学定員に対する志願者数がほぼ同数という数字上の現象を言うが、実際は「難関校」と「定員割れ校」の2極分化を生じ事態は簡単ではない。この事態は「教育の自由化」の名の下に大学を「粗製乱立」させた結果の「需要」と「供給」のバランスを無視した「ツケ」ではあるが、根本には急速な「少子化」がある。現在使用されている人口統計の基礎は05年国勢調査の結果に基づいた出生率「1.32」による統計だが、実体は出生率「1.22~1.20」であり、この「数字」は間もなくワンジェネレーシヨン100万人時代が到来することを示している。

 かつて旧文部省がとった日本人の「能力分布出現率」によれば、この100万人に対して、5レベルが7~8%、4レベルが17~18%、3レベルが50%、2レベルが17~18%、1レベルが7~8%となっている。これを判り安く、推計値として均してみれば、下記のようになる。

 5レベル:10%=10万人
      (英語で例示すれば読み、書き、聞き、喋り、訳し、且つ正しい文法でという総てが最高の水準
       をいう=大学教課程を履修出来た水準を言う)
 4レベル:20%=20万人
      (同上が総て高校教育課程を履修出来た水準を言う)
 3レベル:40%=40万人
      (同上が総て中学教育課程を履修出来た水準を言う)
 2レベル:20%=20万人
      (同上が総て小学教育課程を履修出来た水準を言う)
 1レベル:10%=10万人
      (同上が総て不就学水準)

 (この水準は単なる「偏差値」=記憶力中心の筆記試験成績ではなく、広く社会生活に於ける知恵、企業の職務活動に必要な綜合能力と一致すると言われている)

 この事実を企業公共団体の必要人材に当てはめれば次の事態が判明する。5レベルと4レベルの30万人が基幹職(経営管理監督、企画開発、熟練)候補生、3レベルと2レベルの60万人が一般職(一般事務 技術 営業)候補生となる。一方で企業の想定求人数は約150万人であり、基幹職と呼ばれる部課長、研究開発、経営企画、高度事務技術者は充足率が20%、一般職の充足率40%となる。将来の極めて近い時点での「コア人材=企業公共団体の人的資産」が欠如する深刻な事態を真剣に認識し対処しなければならない。

「対策の論点と教育、特に大学改革」

 人材不足対策の結論を先にあげれば、①絶対的不足の人材能力を海外特にアジア圏に求める、②大学及び大学教育制度の早急改革(卒業率管理の実施と国家社会産業の要求直結による大学再生)が必要である。
大学改革は多種多様に亘り、紙面の都合上次回での詳細記述とし、ここでは「人材枯渇対策」の重点事項の概説に止どめる。

 人口推計の示す通り、日本の日本人による企業公共団体の「必要人材の確保」は質量共に困難であり不可能である。とすればその補填充足は海外、特にアジア圏(中国、韓国、台湾、シンガポール、マレーシア、インド・・・)に求めなければならない。その必要性を鑑み、国もすでに経産省を中心として約50億円の予算を計上して、「海外人材雇用促進事業」として企業等の人材確保、雇用促進のための支援対策を07年から向こう5ヶ年に渡り実施に踏み切った。
 しかし、事態はそう簡単ではない。アジア各国の留学生に奨学金を「支給」して日本の大学に招聘するだけではすまない。第一に日本の大学及び企業が「評価」されていないばかりか、むしろ「嫌われて」いると言っていい。ほとんどの学生が、欧米にその進路を求めてしまう。
 その根本原因を一言で言うなら、日本企業には海外人材に対する「登用」という政策が不在であるということに尽きる。例えばIT技術者が不足だからインドからIT専門技術者を雇用したとしても、それは「欠員」を補充したに止どまる。単なる「欠員補充」でしかない。人口問題の人材難は単なる欠員ではなくコア人材の欠落である。基幹職候補者である、部課長、新製品開発、高度技術、経営企画、さらに熟練職と言うコア人材が欠落し、その補填が要求されているのである。
 そこでは単なる2~3年の欠員補充でなく、長期の異動昇進を含む「登用」が不可欠になる。この海外人材の「登用」という経営理念と経営人事政策、人事制度の確立がなければ、海外の大学人、学生,政官財の理解と承認を得ることは難しい。人材登用という「踏み切り」がなければ海外からのコア人材雇用は「絵に描いたモチ」に終わることは必然と言える。

 更に人材とは「日本という国家社会の担い手」として要求される「国際競争の能力者」である。その候補を輩出する現在の大学の水準はどうだろ。まず世界大学ランキングでは1位ハーバード(米)2位ケンブリッジ(英)3位スタンフォード(米)4位カリフォルニアバークレー(米)5位マサチューセッツ(MIT)(米)等で日本の大学は20位に東京大学が入るレベルで大きく差をつけられている。
 また、中国は熾烈な進学競争で知られ、"十年樹木百年樹人"(植樹は10年で成るが人材育成は100年掛かる)という諺があるように、教育システムは日本と似て非なるものだ。同じ義務教育でも小1から「進級試験」が行われ、不合格は落第留年となる。もつとも象徴的なのが「黒い30日」黒色的三天=毎年夏に実施される「大学統一試験」である。徹底した絞りこみで、人口比大学入学者は僅か5%未満として厳選されている。
 また、アメリカにおける博士号取得者(自然科学)のアジア留学者数では、日本は僅か300人、中国の2550人の10分の1でしかない。この現実は人口統計と相まって、日本の国際競争力の低下凋落という正に「国難」と言う事態であるとしても言い過ぎではない。

 この事態をどう打開するか、それは日本の教育制度そのものの根本的改革以外に道はない。特に大学改革である。その対策を絞れば直接手段として次の2点を挙げることが出来る。それは卒業条件の厳正=「卒業率」と「大学の目的的改革の実施」の2点である。
 即効的には「卒業率」を実施する事である。「卒業率」とは大学の使命、すなわち「国家社会の要求する人材の育成供給」に照らして、その条件を満たす者のみを「卒業」させる事を言う。
 中国国内の500校の大学は、精華大学をはじめ、北京大学、復旦大学など、1位から500位のランキングが明確であり、大学自体の品質水準の確定の為、総て「国立」である。卒業率はこの基準そのものと言っても過言ではない。アメリカでも13%、イタリアでは11%欧米諸国でもほぼ大差はない。要するに最高学年生100人中11人~13人、つまり1割しか卒業させない(国家社会産業に対する教育責任の遵守)のである。日本は「卒業率」はない。トコロテン方式(全員卒業―ネコも杓子も)である。
 「卒業率」は分母のとり方で、目的、意義が変化する。従ってここで筆者の意図(大学の質の向上、国家社会に対する人材養成の使命責任)による定義を明らかにしておこう。一般的には大学教育の「厳格性」の確認と大学の「自主管理の徹底」と言う理解で良いが、その「具体的指標」を「卒業率」としている。当然「分母」のとり方で「指標」の定義目的意義も変ってくる。卑近な例で言うと、東大の10%と定員割れ大学の10%が同一(10%の内容が)で無い事は明らかである。又「厳格性」厳しさと言う点からそれが80%も90%も在る事は「卒業率」が無きに等しい。
 故に此処で「卒業率」と言う意味は、欧米各国(上記例ではアメリカ、イタリア)では「卒業と言う資格取得の権利を有する4回生、最高学年生を分母とする卒業決定者の比率」と理解するのが正しい、その年度の最高学年在学者総数に対する卒業生総数の比率と理解している。
 中国の「卒業率」統計は寡聞にして承知していないが、前述の如く「義務教育の小学1年から「進級試験」で厳選する事実とその結果としての人口比率(大学生人口)5%都と言う厳然たる事実に鑑み、その大学教育の厳正さは「卒業率」(欧米の)以上の水準にあると判断した。

 日本でも「卒業率管理」はヤル気があれば今からでもすぐ実行出来る「改革」である。あまりのひどさに文科省の諮問機関である中央教育審議会が「学士力」導入を提案した。大学全入時代の「出口管理」を強化する事が目的であり(「卒業率」には程遠いが)、少なくとも「卒業要件の厳格化」という意義はある。内容は学生に必要な「学士力」として専門分野の基礎知識、社会的応用理解と、国語と外国語の前で述べた5段階のall 5の思想と、社会生活必須の汎用的技能と協調性、倫理観の態度行動と、これらを活用する問題解決創造思考力を挙げている。出来るなら加えて「外部統一試験」が望ましい。自主管理はどうしても「厳格性」と個別大学間のギャップが避けられない。

 大学形態改革については、「国家、社会、企業」の人材能力に関する具体的要求を確認し、その要望「多種多様の才能」を具現化(育成し供給)することができれば、それぞれの大学が特徴を出して、専門個別に学生を輩出する事が出来るようになる筈である。

 ヒントは「職業分類」にある。大分類すると、今の「難関校」と「その他」を2分して、職種として政治、法制、基幹職、経営企画、各種企画分析、高度事務技術の「基礎専門職種」を養成する大学と、一般事務技術、営業、生産等を養成する大学に区分する。重要な視点は、「機械技能=国家技能検定試験1級の一般知識と技能」でなく、機械工学、機構学、物理学、熱伝導等の基礎専門知識を持った技能士、言い換えればウデとスキルの技能士ではなく、頭脳(アタマ)とスキルを持った「専門技能士」の教育養成の大学である。法曹界では法科大学院があり、裁判官、検事、弁護士の養成が目的である。しかし技術士(技術専門分野例えば公害管理の技術士)を養成するような技術部門最高の専門職大学院は見当たらない。

 ヒントは「職業分類」(多種多様の才能)と公的民間資格にある。それらの「学科、学部」=形態化である。ここに「乱発」された大学の活路と社会的改革の意義とさらに海外の留学生招致の方途(留学の魅力)があると思うが如何であろう。

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