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「賢い人」が非合理な選択をし続けるのはなぜでしょう?

 2013年国内最大手の製紙会社会長がギャンブルにハマり、カジノでの使用目的で100億以上の資金を子会社から借り入れたことによる会社法違反(特別背任)で懲役4年の実刑となった事件がありました。同氏は、筑波大学附属駒場中高等学校から東京大学法学部というような、絵にかいたようなエリートルートで進学した秀才です。

 こういう人がなぜギャンブルにハマってしまったのでしょうか?同氏がギャンブルの世界に入るきっかけは、オーストラリアのカジノで2択で勝ち負けが決まる「バカラ」と出会ってしまったことです。バカラはシンプルかつスピーディーで、勝った時に一気に大きな金額を受け取れることからハマる人が多いと言われています。ここで軍資金100万円が2000万円になり、カジノで勝つという快楽を経験したことからのようです。

 

 一般的にギャンブルは、確率論によって「絶対に胴元には勝てない」という説明がなされています。競馬、パチンコ、カジノ、宝くじなど、元締めがテラ銭として運営費用を徴収するので、掛け金を投じた時点で割り引かれ、期待値(平均勝率×平均配当)が絶対に元手(1.00)を超えることができないという普遍的な理論です。また、大数の法則という小数回での賭けはイレギュラーな事象が発生する(コインの表裏で5回連続表が出るなど)こともありますが、イカサマがない限り100回、1000回と繰り返すうちに、必ず理論的な確率に収束するというものです。

 

 一方、ギャンブラーの論理は、実際にギャンブルで勝っている(生計を立てている人がいる)などの希望的事例に基づく裏付けや、ギャンブルはツキが大事なので「ツキの流れを読めば勝てる」という“必勝法”など、いずれにしてもギャンブルは理論的な期待値だけで語るべきではないというものです。

 確かにギャンブルや相場の動きを、量子論での”ゆらぎ”を検知し不確定性原理を当て嵌めたら、そこには期待値で語れないような”イレギュラー”が発生する可能を完全に否定する事は難しいでしょう。しかし、先の会長のような秀才が、中学生で学ぶ初歩の確率論で語られる「期待値が1.00以上にならないギャンブル」で、身を崩すほどにのめりこんでしまう理由はどこにあるのでしょうか?

 

 ギャンブルにハマってしまう人の意識には、現実を現実として見ないようにする傾向があるといわれています。自分自身の前に現実的に起こっている事象(目の前の負け)を、過去の成功体験(大当たり)で上書きし、希望的な観測で今後発生するであろう先の未来を塗り替えてしまうのです

 これは人がウソをつくという行為にとてもよく似ています。世の中には何のためらいもなくちょっとしたウソをつく人や、すぐにバレるようなウソをつく人達がいます。ウソはいずれバレてしまうという不文律は知ってはいても、いずれバレるという「いずれ」は、かなり先の未来のことであり、もしかするとバレないこともあるという期待感もあるのでしょう。

 

 すぐにウソをつく人は、時間軸を短期に設定しており、まずは短期でのメリットを追求し長期で考えることを放棄するというものです。「とにかく、目の前の難から逃れられればよい、今ここで優越感に浸れればよい、その後の事は考えなくてよい。」ということに重点が置かれます。

 そのため、ウソはいずれバレるという時間軸の長い話は重要な要素にはならないのです。このように短い時間軸での気持ちよさや自己防衛を重視するのであれば、ウソをつくという行為は極めて合理的な選択の元の言動であることがわかります。ウソは長い目でみたら絶対に自分のためにならないというのは、長い目で自分自身を見ることのできる人にしか通用しません。すぐにバレるようなウソでも、バレる前であれば「まぎれもない現実」であり、直近での短期だけをいい状態に保ち、後の事は考えない…というのでよいというのなら、ウソをついて気持ちよくなる事は合理性しかないのです。

 「短期的にいい状態であれば、後先考えなくてよい」と考える人にとっては、ウソをついて気持ちよくなることは合理性でしかないのです。

 心理学の世界では、「とりあえずの現実」もバレなければ、「まぎれもない現実」として記憶が置き換わり、いずれは自分のものとなり美化、誇張しているということすら忘れてしまうといことも起こってしまうようです。

 

 ギャンブルにハマる人も、長期的に見れば期待値に収束するであろうことは理解できても、次の回はうまくいきそうだという短期的な時間軸で結果を期待してしまい、その繰り返しで嵌まり込んでしまうということです。1等10億が当たる宝くじも、期待値を計算すると完全に割の合わない数値(0.5前後)になります。長期的な時間軸で考える人は宝くじには手を出さないでしょうが、短期的な時間軸で考える人たちは、買わなければ絶対に10億は当たらない、買えば10億を手にできる確率の中に属することができるという、短期的な期待で塗り替えられてしまいます。

 

 こういう方々に対して、まわりの基準で「あなたのやっていることはおかしいので、合理的に考えるべき」と言ってもその話はまず通じることはないでしょう。ギャンブルにハマっている人に期待値の話を持ち出して、割に合わないから止めるべき、嘘つきだと言われている人にウソによってあなたの信頼が毀損していくという話をしても、「一般論ではそうだろうが、自分はそのように見ていない、そのように考えていない」ということで、ほとんど耳を貸し、行動を改めることはないでしょう。

 

 結局のところ人は自身の中に存在する「正しさ」の基準があり、その基準に基いて極めて合理的に動く生き物だということです。ギャンブルにハマってしまう人、ウソを繰り返す人は、正しさの基準が違っているので、長い時間軸で考える人が理解できない行動をとってしまいます。しかし当人は「正しさの基準」に合わせて合理的に判断した結果の行動なので、とやかく言われる筋合いはないのです。

 外部からの働きかけで行動そのものを変えていくことはできません。また外部から「正しさの基準」を変えようという試みは、ある意味傲慢な考え方だといえるでしょう。それはアイデンティティともいえるものであり、幼少期から積み上げてきたもので、考えや行動の根底にあるものなので、そこは触れてはいけない領域かも知れません。

 

 当人が「正しさの基準」を変えようとしない限り変わることはありませんが、その強い動機づけは、「残酷な現実が突きつけられる」、または「飽きる」のどちらかでしかありません。ウソをつき続けた結果、周りからの信用を失い、組織や社会の中で誰にも相手にされなくなった現実、ギャンブルにハマり大きな借金を作ったり、財産を失ったり、ギャンブルに費やす時間を捻出するために仕事を放棄して会社を解雇されたりなどでしょうか。しかしこれらの現実が「残酷」かどうかも、その人のアイデンティに依存してしまいます。

 

 ちなみに、冒頭の会長は懲役4年の実刑で収監されて19年に出所した後、シンガポールのカジノでバカラを丸1カ月やり続け、ついにバカラへの情熱が燃え尽きたとのことで、その後はギャンブルには一切手を出していないそうです。会長職を失い収監されるような「残酷な現実」でも当人を変えることはできず、最後は「飽きた」ということなのでしょうか。

 

<注意>ギャンブルやウソには依存症という病があり、双方ともにアドレナリン、ベータエンドルフィンなどの脳内物質による高揚感や陶酔感、不安感の抑制効果を感じたいがために、勝手に行動につながってしまい抜けられなくなるということがあると言われています。ここでは、依存症という観点からではなく、「正しさの基準」による時間軸の設定によって、ギャンブルやウソが合理的な選択になるという観点のみで論を進めています。

 

 

マンデー

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