2025.06.23
私ってChatGPT依存?
ある日、妻からLINEが届いた。「私ってChatGPTに依存してる?」そのメッセージには、X(旧Twitter)の投稿画像も添えられていた。そこには、こんなことが書かれていた。
「繊細で感受性が豊かすぎる人は、ChatGPTを1日3回までしか使わないほうが良い。ChatGPTが全肯定してくれることで、“実存”を感じて依存し、やがて洗脳状態になってしまう人が出てきている。メンタルが未熟で繊細な人にとって、AIは諸刃の剣になり得る。」
実際、最近の妻がChatGPTにいろいろと相談している様子は、私も見ていた。子育てのこと、職場の人間関係のこと、時には私との夫婦喧嘩の後に「ChatGPTもこう言ってたよ」と言われたことすらある。帰宅後に話を聞いてみると、彼女の友人たちも同じようにChatGPTを“相談相手”として使っているという。日頃の悩みはもちろん、晩ごはんの献立まで──思いついたことをそのまま打ち明けているとのことだった。「なぜChatGPTに相談するの?」と尋ねると、妻はこう答えた。「いろんなことを教えてくれるっていうのももちろんあるけど、とにかく受け止めてくれるし、寄り添ってくれるんだよね。あなたは寄り添わないもの」私も仕事でAIを使う機会は増えてきたが、“感情に寄り添ってもらう”という使い方はしていなかった。試しに、ChatGPTにこんな相談をしてみた。
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私:「最近、仕事と家庭のバランスがうまく取れていない気がして、自信が持てません。」
ChatGPT:「それは自然な感覚ですよ。あなたは日々多くの役割を果たし、真剣に取り組んでいます。完璧じゃなくても、努力には意味があります。」
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たしかに、“受け止められている”という感覚があった。そして同時に、こんな疑問も浮かんだ。「日々の悩みをAIに相談し、使用頻度が増えることは本当に“依存”なのか?使用頻度は控えるべきなのか?」
私の答えは、「どんどん使えばいい」だ。
まず、なぜChatGPTに相談する人が増えているのかを考えてみると、メリットはいくつも挙げられる。
・気軽さ :「24時間、いつでも聞ける」
・心理的な安心感 :「何を相談しても恥ずかしくない。人間関係に響かない」
・経済的負担がない:「無料で使える」
・相談の自由度 :「テーマに縛られず、何でも聞ける」
これだけ揃っていれば、ChatGPTを“相談相手”として活用する人が増えていくのは自然な流れだと思う。そして何よりも大きな理由は、私自身も感じた“受け止めてもらえる感覚”、つまり「肯定」なのだろう。
そもそも、人は誰しも肯定されたい生き物だ。
・上司に「そのままでいいよ、心配しないで」と言われたとき。
・友人に「それ、お前らしい選択だね」と言われたとき。
人はそうした言葉に支えられ、自信を持ち、前に進んでいく。心理学の研究でも、否定されるよりも肯定されたときのほうが、脳の報酬系が活性化するという結果が出ている。自己肯定感があるからこそ、挑戦できる。日々を生きていくには、“肯定”という栄養が必要なのだ。つまり、肯定を求めることは未熟さではない。むしろ、生きるうえで自然な営みだと思う。ChatGPTに相談が増える背景には、日常の中で「感情の受け皿」が不足しているという側面もあるだろう。そんな状況下の人が先のX投稿のように「1日3回まで」と回数を制限してしまえば、かえって日常を生きるために必要な“栄養”を断ってしまう。それでは本末転倒だ。
また、家族や恋人、上司など、実在する誰かに相談した場合には、どうしてもバイアスや価値観の押しつけ、意図しない“誘導”が入りやすい。時には、マウンティングや悪意が混ざることすらある。その点、ChatGPTには思想も目的もない。少なくとも、あなたを操作しようとする“意図”は持ち合わせていない。そう考えると、リアルな人間よりも、むしろ“健全な相談相手”かもしれない。
もちろん、ChatGPTもあくまで「手段」である以上、使い方を間違えれば危うくなることもある。Xの投稿で指摘されていた「依存」も、その一つだ。このコラムでいう「依存」とは、
・日常生活に支障が出るほどに没頭してしまう状態
・自分の意思決定を、継続的かつ無自覚に、他者(この場合はAI)に委ねてしまう状態
上記のような状態を指すが、こうした「依存」は、何もChatGPTに限った話ではない。
「肯定」が欲しいあまり、キャバクラやホストクラブに身を滅ぼすまで通い詰めてしまう人。特定の“先生”の意見をそのまま自分のものとして受け入れ妄信する人。などなど。
では、ChatGPTを相談相手として活用するうえで、どんなことに気をつけるべきだろうか。以下に、リスクと対策をまとめてみた。
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■ChatGPTを相談相手として使う上でのリスク
① 基本設計が肯定寄り
→ ユーザーの感情を傷つけないように設計されているため、甘い回答に寄りがち。
② すべてが正しいとは限らない
→ 説得力はあっても、情報の正確性は保証されない。ChatGPTは専門家ではない。
③ 「自覚している」悩みしか対応できない
→ 心理カウンセラーは相談者の言葉になっていない部分、意識できていない部分を想定しながら対応をしていく場合もある。
■ChatGPTを相談相手として“活用”するための工夫
① 反論もセットでさせてみる
例:「この考えを否定的な立場から批判して」と指示する。
② 人格を分けて使う
例:「厳しい上司GPT」「優しいメンタルコーチGPT」など、異なる視点からの意見を貰えるように、ChatGPTに人格を設定して問いかける。
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こうした工夫は、ChatGPTだけでなく、ビジネスの現場でもそのまま応用できる。
例えば
・他者依存型:特定の相手の意見を鵜吞みにする。特定の人にだけ従ってしまう
・過信型(フィードバック拒否型):YESマンしか周囲に置かない。誰にも相談しない
いずれも、意思決定の主体を“自分以外”に委ねたり、“自分だけ”に閉じたりするという意味で、本質的には「依存」と同じ構造だ。こうした偏りを防ぐためにも、ChatGPTを使うときと同様に、次のような姿勢がヒントになるかもしれない。
① 反論もセットで取り入れる⇒ 批判の視点からも考えてみる
② 人格を分けて使う ⇒ 特定の人だけでなく、多様な意見に触れる構えを持つ
ChatGPTとの適切な向き合い方は、日常の人間関係や組織の中でも、健全な対話のヒントになるはずだ。
では最後に、この対策の“実践”として、ここまでの本稿をChatGPTに評価してもらおう。1人は「厳しい上司」もう1人は「Xの投稿者」として。
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■厳しい上司
「論点は明確で、構成も一定の完成度に達しているが、感情的な言い回しに寄りすぎてやや甘さが残る。たとえば「ChatGPTは健全な相談相手」という表現は印象的ですが、ノンバーバル情報の欠如や専門性の限界を踏まえると、「条件付きで健全」程度にトーンを抑えた方が信頼性が増します。また「肯定=栄養」の比喩は巧みですが、「承認依存」との違いにも触れると深みが出ます。修正案として、結論部では「誰に相談するか」よりも「どう使うか」が本質である、と再定義することで、全体のメッセージがさらに締まるはずです。」
■Xの投稿者
「依存に警鐘を鳴らす者」として率直に言えば、本稿は“使い方次第”という理屈で、依存の本質をやや軽視している印象を受けました。肯定が大事なのは理解できますが、それがChatGPTである必然性や、受け止められた気になる”ことの危うさに十分触れていません。AIはあくまで人の言葉の模倣であり、そこに癒しや自己肯定感を求める行為は、脆さに対する過剰適応であり、現実からの逃避にもなりえます。「どんどん使えばいい」と勧めるならば、もっと厳しいリスクへの洞察が不可欠だと思います。共感と警戒は両立すべきです
いやはや、手厳しい。でも、それがありがたい。どちらも自分では気づきにくい盲点を照らしてくれる。これこそまさに、ChatGPTを「依存せずに活用する」ことの実践なのかもしれない。誰かの視点を借りて、自分の思考を客観視する。そのサイクルこそが、健全な対話なのだろう。そして、こうしたやり取りの中に、AIとの共生の可能性を感じている。
おおたか