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隣の芝は青いのか?

 先日、前職の知人Aから、「共通の知人Bと一緒に働くことがほとほと嫌になった」という話を聞いた。思い返してみると、知人Bは以前から、自分より立場の弱い者に対して威圧的な言動を取っていたように思う。また、「自分はここ(知人AとBの職場)にいるべき人材ではなく、もっと活躍できる場所がある。」といった発言を繰り返していたようだ。そういう背景から、知人Aは知人Bへの我慢の限界がきたのだそうだ。

 

 確かに、知人Bは周囲に対してマウントを取ることが多かった。調べてみると、他者にマウントを取る者の心理は、承認欲求が強く、その裏では自分に自信がなく不安であるため、他者の価値を落として相対的に自分が優位に立とうとする状態であるという。様々な要因が考えられそうだが、今回のケースでは、知人Bが他者に対して過度な劣等感を持っていることに起因しているのではないか。知人Bは行き過ぎた劣等感を無意識に隠すために、周囲にマウントを取ったコミュニケーションをすることで、人間関係をこじらせてしまったのではないか。

 

 もちろん、劣等感を持つことが必ずしも悪いわけではない。劣等感をバネにして、自分の課題を克服して成長につなげるケースもある。そのようなタイプであればよいが、皆が同じというわけではない。ただ、劣等感自体は誰もが持っているものであり、知人Bのようなコミュニケーションを取って人間関係がうまくいかなくなった経験をした方もいると思う。

 

 本コラムでは、劣等感を強く持っている方に、現状を少しでも好転させる参考になればと思い、劣等感を持つ構造と緩和方法について考察してみようと思う。

 

 そもそも、劣等感とは何なのか。様々な定義があるが、ここでは劣等感を「自分が他者よりも劣っていると思う感情」とする。もう少し深堀すると、“自分が主観的に抱いた理想の他者像”に対して、“自分が主観的に抱いた現状”とのギャップが劣等感であり、このギャップが大きいほど劣等感は肥大化する。

 

 心理学者のアルフレッド・アドラーは、「理想の自分と比較して劣っているように感じ、それを努力や成長に促すきっかけにしている場合」を、“健全な劣等感”と呼んだ。逆に、「他者と比較して劣っているように感じ、言い訳や偽りの優越感を持つことにつなげている場合」を、“不健全な劣等感”と呼んだ。

 

 「あの人は帰国子女だから英語が話せるけど、自分は帰国子女ではないから英語を話せないのは仕方がない」とか、「自分は仕事ができないが、あの人よりもマシだから大丈夫である」などの感情を抱くことは、“不健全な劣等感”を持った状態に陥っている。まさに、知人Bはこの事例に当てはまりそうだ。

 

 さて、ここでは不健全な劣等感をどう緩和するかに焦点を当ててみよう。不健全な劣等感が生じる構造を先ほど記載したように、“理想の他者像と現状の自分像とのギャップ”と捉えると、緩和する方向性は、2つに単純化される。それは、①:理想の他者像を低くして現状とのギャップを小さくすること、②:現状の自分像を高くして理想の他者像とのギャップを小さくすることだ。この2つの視点を軸に、劣等感の緩和方法について以下に触れていく。

 

 まず、①:理想の他者像を低くして現状とのギャップを小さくするには、自分が主観的に抱いた他者の理想像に過度に囚われないようにすることから始めるとよい。人間は、気づかないうちに形成された価値観に縛られている。“お金持ちは幸せである”という価値観や“背が高いと異性に人気がある”という価値観など、無意識のうちに形成された価値観を上げればきりがない。

 

 理想の他者像に過度に囚われないためには、無意識に形成された価値観から意識的に離れてみることが重要である。先ほどの例で言えば、「お金持ちでなくても幸せな人はたくさんいる」という逆のケースで捉え直すと、自分が抱いた他者の理想像は幻想ではないかという視点に立つことができる。

 

 別の言い方をすると、不健全な劣等感を持っている場合は、劣等感の対象ばかりに目が行き、周りが見えず、視野狭窄になっている可能性が高い。例えば、身長が低いという劣等感を過度に持つと、「身長が低いから異性に人気がない」という論理的誤謬に陥ってしまう。少し考えれば、異性に人気がないのは、身長が低いという要因ではなく、性格やコミュニケーションの側面など別の要因が考えられるのに、その視点に至らないのである。要するに、自分が築いてきた価値観を疑い、思い込みや無意識の偏見を手放そうとするスタンスが大事なのだ。

 

 また、一見他者の羨ましいと思う部分は、表面的なものでしかなく、見えていないところでは羨ましいと思うものとはかけ離れている場合もある。つまり、見えているものばかりに目を向けず、見えていないものに目を向けることも、理想の他者像に過度に囚われないことにつながる。仏教で言えば、色即是空*のような考え方である。

 

 このように、他者に抱いた理想像は、誰かに作られた価値観である場合があり、人間は表面的な一部しか見えていない(見たいようにしか見ない)といった考え方を意識的にすることで、不健全な劣等感の緩和につなげることができる。

 

 次に、②:現状の自分像を高くして理想の他者像とのギャップを小さくするには、過度な自己否定をせずに、自己肯定感を高めることを意図的に行う必要がある。ともすれば、人間は具体的なことを悩んでいるはずなのに、いつの間にか抽象的な悩みにすり替える習性があるように思う。例えば、上司に仕事の進め方の非効率さを注意されて、“別の方法はないか”など進め方について悩んでいても、“自分でなければうまく進められたのではないか‥”、“そもそも自分の能力が問題なのではないか‥”、“自分はダメな人間だからこうなった‥”というように、悩みが抽象的な方向に変化して、無意識のうちに自己否定してしまうのである。

 

 自己否定のスパイラルから抜け出すには、“事実”と“主観”を切り離して考えるとよい。注意されたことは「仕事の進め方が非効率であった」という“事実”であり、「人格を否定されたと感じたこと」は自分の“主観”が生み出したものなのだ。このように、自己否定しそうになった時は、今悩んでいることが“事実”なのか、“主観”なのかを意識的に弁別し、“事実”の問題に向き合うことに集中する。

 

 そして、“事実”と“主観”を意識して切り離して、「人は人、自分は自分」と良い意味で割り切った考え方ができるようになると、過度な自己否定をしなくなり、現状の自分像を下げることを食い止めることができる。

 

 この状態になれば、あとは自分像を高めるだけだ。そのためには、何でもよいので自分ができたことやうまくいったことなどに目を向けて、自分をすごいと褒めてあげるとよい。自分を少しでも認めることができると、前向きに物事を考えるようになり、自己肯定感が徐々に高まることで、現状の自分像を高められる。結果、不健全な劣等感を緩和することにつながる。

 

 以上のように、2つの不健全な劣等感の緩和方法を見てきた。もちろん、これ以外にも有効な方法はあるが、結局のところ、他者と自分を比較ばかりしてもろくなことはない。昨今はSNSやメディアで煌びやかな他者の様子をお腹一杯に見せられて、いつの間にか自分の価値基準や思考がハックされ、「あんな風になれない自分って‥」と隣の芝が青く見える症候群が跋扈している。そういう意味では、他者の価値基準に囚われすぎず、自分の真の価値基準を持って、行動している人間はどれだけいるのだろうか。

 

 サッカー元日本代表の本田圭佑の名言、「心の中のリトル本田が答えた」という言葉があまりにもまぶしい。

 

 さて、知人Bから「相談に乗ってほしいことがある」と連絡がきた。知人Bのインナーチャイルドに触れて、知人Aとの関係の修復のきっかけを作ることは果たしてできるだろうか。本考察を踏まえて、会ってこようと思ったのであった。

 

U2

 

 

*¹『般若心経』にある言葉で、仏教の根本教理といわれる。目に見えるもの、形づくられたもの(色)は、実体として存在せずに時々刻々と変化しているものであり、不変なる実体は存在しない(空)という考え方。転じて、目に見えるものに囚われることの無意味さを説く

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