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スケボーから見たスポーツの姿

 東京オリンピックから1年が経った。今大会は、新型コロナウイルスの世界的な流行といった未曽有の事態により、各方面からネガティブな声が数多く寄せられるなかで開催に至った、稀有な大会だっただろう。日本にとっては、メダル獲得数が過去最多を記録したものの、開催への賛否や無観客での試合実施により、日本全体が熱狂したとは言い難い大会ではなかっただろうか。そのようななか、世界のオーディエンスの胸をひときわ熱くした競技があった。それは、東京オリンピックから新種目として採用されたスケートボードである。

 

 スケートボードは、直線的なコースを使う「ストリート」と、お椀を組み合わせた様なくぼ地状のコースを使う「パーク」の2種目が男女それぞれで行われ、男女合わせて金メダル3つ、銀メダル1つ、銅メダル1つとメダルラッシュに沸いた。

 

 これまでのオリンピック観戦において、日本でとりわけ注目度の高い競技として、柔道、野球、陸上などを連想する人は多いだろう。しかし、東京オリンピックに関する調査を見ると「興味・関心が高まった競技」では卓球(9.3%)、自転車競技(10.3%)を越えてスケートボード(16%)がトップであった。

 

 もちろん日本人選手が活躍した影響も大いにあるが、体操、フィギュアスケートなど数多くの採点競技があるなかで、スケートボードはどうしてこれほどまでオーディエンスを魅了したのだろうか?

 

 スケートボードが注目を浴びた理由は、単に日本人が好成績を収めたからだけではなく、競技を行うスケーターたちの“雄姿”や“心から楽しむ姿”、また国を越えた選手同士が互いを“たたえ合う様”が世界中のオーディエンスの心を掴んだからであった。

 

 そもそもスケートボードの発祥は1940年代のカリフォルニアといわれ、日本では1970年代にファッション雑誌に紹介されて以降、80年代、90年代にファッションと音楽が混ざり合いながら“ストリートカルチャー”の一つとして若者に人気が広がっていった。

 スケートボードを語るうえで、負のイメージを持っている人は少なくない。いわゆるストリートで行われることから、一般の人々との間に摩擦が度々生じる。例えば、オリンピックに出るレベルの選手はともかく、技量が足りなければボードをコントロールしきれず、ボードだけがどこかへ飛んで行ってしまうこともあり、それが人身事故や器物破損のリスクとなり、「スケートボードは危ない」と認識されている。また騒音も問題視される。路面を走る際に生じる音は大きい上に、「やんちゃ」に映るファッションを身にまとうスケーターも多く、それらが要因となって近隣住民と対立することもしばしばある。

 

 そのような負の側面はあるものの、スケートボードを好んでする者の多くが、“遊び”としての楽しさや、ファッションの意味合いを含んだ“自己表現”の延長としてスケートボードを始めている。そして普段の“遊び”の際にも、自身のスケートスキルを高めていく上で、人と比べたりすることはあっても競争心を抱くことはない。むしろ尊敬の念を他選手に抱くほどである。スケートボードは、常に大怪我と隣り合わせであり、危険が孕む“遊び”のため、それ相応のリスクや恐怖心に打ち克たなければならない。スケーターはその心情を痛いほど理解しているため、難易度の高い技に果敢に挑んでいる選手には賛辞を贈るのがそういった理由からである。そして普段の“遊び”の時からみんなで他選手のチャレンジ達成の喜びを分かち合うといった習慣があるため、オリンピックの舞台でもそのような光景が見られたのであろう。また、もともと自己表現の一つとして始めている選手にとって、他選手の勇気あるチャレンジを“カッコイイ”と思う心境が、チャレンジに失敗した選手を多くの選手を囲みたたえる様な光景を生んだとも言える。

 

 また今では何気なく使っている「スポーツ」という言葉の語源を辿ってみると、ラテン語で“運び去る”や“気分転換をする”を意味する「deportare」であり、それが中世フランス語では気晴らしをする、遊ぶ、楽しむという意味の「desport」となった。14世紀のイギリスでは「disport」として使用され、これが省略されて、16世紀に「sporte」「sport」になったと言われている。この語源の通りスポーツはそもそも、“競技”ではなく楽しむための“遊び”だった。いつしか、“競技”としての側面が強まったオリンピック大会ではあるが、もともとのスポーツの“楽しむ”、“遊ぶ”といった本質的な側面がオーディエンスの心を動かしたとも言える。

 

 オリンピックを始め、世界中で行われている現在のプロスポーツの大会では、語源にある本来のスポーツの姿が失われている場面に出くわすことが多くないだろうか? スケートボードの東京大会の一幕がオーディエンスにとって異様に感じられたのがその証拠であろう。

 

 現在、国の代表を背負った過剰なプレッシャーにより追いつめられる選手や、優劣にだけ着目し、選手への誹謗中傷まで発展するオーディエンスやメディアの存在がそのような状況を生んでいる。そこにスポーツの本当の意味でのスポーツマンシップは感じられない。金メダルの獲得しか許されていない日本の柔道や、ドーピングを疑われ、国としての出場が認められなかったロシアなどがその例である。平和の象徴でもあるオリンピック大会がその側面をより強固にしていくにはどうしたらよいのだろうか?

 

 上述の様に、現在のオリンピックの状況から脱することを考えた場合、東京大会で、世界中のオーディエンスが目にしたスケートボードでの光景が参考になるだろう。本来のスポーツが持つ、心から楽しむとことと同時に、相手をリスペクトすることを忘れてはならない。

 ただし、国を代表し、プロの競技者として生計を立てているものにとって、人生を懸けた舞台でそのような心情を維持することは一朝一夕でできるものではない。1つは、スポーツ競技における“”競争“という概念を叩き込まれるのが幼少期なため、義務教育の期間にスポーツマンシップとは何かを国レベルの施策として浸透させていくことが挙げられる。

 2つ目は、オリンピックという象徴的な大会を筆頭に順位を付けるだけではなく、メダル以外に敢闘賞や最もオーディエンスの心を動かした特別賞などを、個人あるいは試合自体に与えると良いだろう。そのような賞を創ることで、スポーツが競争に勝つことだけが美徳ではないということをオーディエンス側から、選手自体に伝播し、本来のスポーツの持つ相手をリスペクトし、心から楽しむという一連の行為にムーブメントとして広がっていくだろう。オリンピックで活躍する一人でも多くの選手が、心からスポーツを楽しむ姿を見られる場面を楽しみに次回の大会以降も観戦していきたい。

 

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