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ピカソの言葉

 私は秋の上野公園を歩くのが好きだ。黄金色の銀杏並木が続き、噴水広場には空の青さが広がる。ベンチに座り読書をしている男性、よちよち歩きの子供を見守る笑顔、相変わらずスターバックスは信じられないほど並んでいるが、この景色と珈琲を味わいたいと買わずにはいられないのも頷ける。秋晴れの1日は是非訪れて欲しいお気に入りの場所だ。

 そんな上野公園に今日訪れたのは珍しく目的があった。10月8日より国立西洋美術館で開催されている「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」だ。

 

 パブロ=ピカソ(1881~1973)彼の出自はスペインの最南端アンダルシア地方である。白壁の建物とオリーブの緑、青い海のコントラストが美しい街に、美術教師の11人の子供の長男として生まれた。子供のころから絵を描くことには天才と呼ばれ、彼が13歳の時に描いた鳩の描写力に驚き父親は筆を折ったとも言われている。彼は16歳でマドリードにある王立美術アカデミーにずば抜けた成績で合格するほどの腕前であったそうだ。そう、ピカソと言えば、誰もが知っているであろう芸術界の巨匠だ。私は皆さんにピカソの作風について語りたいわけではない、ましてやその知識もない。今日ピカソ展に訪れたのも、彼の作風を理解しようという高尚な想いがあるわけでもない。ただ、彼のある言葉が私をこの美術展に足を運ばせた。

 

 ピカソの言葉

「子供は誰でも芸術家だ。問題は、大人になっても芸術家でいられるかどうかだ。」

 何故この言葉が妙に気になったのか、自分でも不思議であった。稚拙な文の中でピカソの名前を出しておきながらおこがましいが、私も絵心がある方だ。子供のころから親戚が来ては自分の書いた絵を見せて回っていたのを朧気ながら覚えている。しかし、振返れば私の人生は芸術というものには縁遠く、どちらかと言えば避けてきた人間だ。人に見せて回るほど絵を描くことが好きであったのに、なぜこうなったのか?そんな迷いをピカソの言葉が浮き彫りにしたのかもしれない。

 

「図工」と「美術」

 小学生の時の「図工」の時間は大好きであった。傷だらけの木の机、絵の具の飛び散った床、小学生ながら図工室は非日常の空間であった。疎らな廃材を使って自由に作成ができたあの頃まで、私は芸術家であったかもしれない。しかし、中学生にあがって「美術」の授業になると一変した。まず絵を見ることが勉強になった。作者の顔と絵画と時代背景を覚える勉強だ。また、作るものにも点数がつけられるようになった。優劣が付くので「正解」に近いものを作らなければいけなかった。これはあくまで私の通っていた学校の例であるし、私の想い出を乱暴に書き殴ったので、共感されていない人も多いかもしれない。しかし、私が中学校時代から芸術というものを何か高尚で、堅苦しいものとして遠ざけるようになったのも事実だ。

 

「ジグソーパズル型」と「レゴブロック型」

 これは「教育改革実践家」として活動されている藤原和博氏が使われる言葉である。藤原氏は日本の20世紀の教育は「ジグソーパズル型」と例えている。ジグソーパズルはたった1つの正解に向けて、全てのピースをはめていくゲームである。戦後の日本は人口も経済も右肩上がりの高度経済成長期、あらかじめ決まった未来=正解が見通せる時代であった。そのような時代も相まって、戦後の日本では、あらかじめ与えられた唯一の正解にどれだけ早くたどり着けるかという力が重視され教育されてきた。その象徴がマークシート式のテストや、大学受験だろう。正に私の中学校の芸術の授業も「ジグソーパズル型」に近しいものであったし、受験勉強を経て「ジグソーパズル型」の教育に染まった私も、唯一の決まった答えを求める癖がついているように思える。

一方、VUCAの時代などと呼ばれて久しいが、予測ができない=正解がない成熟した現代では「レゴブロック型」の教育が重要であると藤原氏は述べている。レゴブロックは様々なブロックを組み合わせて、自分の世界観を表現できる玩具である。このレゴブロックに例えて、手元にある様々な情報を組み合わせて、決まった正解ではない「自らの答え」を生み出す力を伸ばす教育が求められているというのだ。

 

自らの答えを出したピカソ

 少しピカソに話を戻してみるが、前述したとおりピカソと言えば、誰もが知っているであろう芸術界の巨匠だ。しかし、誤解を恐れずに言うならば、彼を「ヘンテコな絵を描く画家」と認識している人も多いかもしれない。この認識はあながち間違っているわけでもなく、ピカソが生きていた時代の画商たちも同じような評価をしていたのだ。

 ピカソの絵画を実際に紹介できないので心苦しいが、皆さんの記憶にあるピカソの絵画を思い出して欲しい。角張った身体、横顔なのに正面を向いている目、黒々とした肌の色、奇抜でおよそリアルとは言えないピカソの絵が今日では絶大の評価を得ている。専門的なことは割愛するが、ピカソはそれまで「正解」とされてきた現実をただ模倣するだけの絵画をやめた。目に見えるものをあらゆる角度から分析することで、三次元の物体をそのまま二次元に展開しようと試みた結果、あのような作風を生み出した。芸術で「自らの答え」を導いたことが評価されて今日に至る。

「子供は誰でも芸術家だ。問題は、大人になっても芸術家でいられるかどうかだ。」

 そんな「自らの答え」を導いたピカソの言葉だからこそ、何か心に引っかかったのであろう。確かに、絶賛ジグソーパズルの教育を受けてきた私が、「自らの答え」を生み出すことに長けているとは言えない。その殻を破るヒントを貰いに来たのだろうか。もちろん、そこまで深く考えて美術展に来たわけではないが、少なくとも子供のころに芸術が好きであった気持ちを思い出させてくれたことは間違いない。人生で遠ざけていた芸術に再び近づけてくれたこの言葉に感謝したい。

 

 

三十路パンダ

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