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時代の変化と新たな価値基準

「諸行無常」は釈迦が残した言葉である。2023年は釈迦入滅から2,556年目となるそうだ。釈迦が生きた時代に、普遍的とも言える時代の本質を捉えるに至ったことは、釈迦の哲学者としての非凡な才能を窺い知る事ができる。「諸行無常」はこれからも時代を捉える事の本質であることに変わりはない。

 

現代を生きる私たちは、テクノロジーの進歩・進化によって時代の変化を目の当たりにして来た。

GAFAの設立年を見るとテクノロジーの進歩の速さを感じ取れる。Apple社はスティーブ・ジョブズがアップルに戻った後のiPhoneの発売時で見てもらいたい。Appleの設立年を除き、Amazonの設立から数えると、約30年ということになる。奇しくも日本経済が闇に突入したその年にAmazonが初声をあげていた。

 

1976年 Apple                        パーソナルコンピュータの時代の幕開け

1994年 Amazon                    eコマース市場を世界に拡大

1998年 Google                      検索エンジンを世界に普及 世界シェア92%

2004年 Facebook        SNS時代の開拓者

2007年 iPhone発売                携帯電話からスマホ時代への変革

 

あらためて見てみると、日本の生活基盤の1つを形づくったのはiPhoneを手にしてからとも言える。デジタル時代が本格化して30年、世界は風景をガラリと変えた。

 

さて、もう少し時間軸を長くとって100年単位で時代の大きな変化について、独自の捉え方で振り返りつつ、大きな時代の変化について概括してみる。

21世紀のパラダイムは中世ヨーロッパ社会の常識を乗り越えて形作られた。中世ヨーロッパ社会における常識とは、キリスト教≒キリスト教会が社会的価値基準を支配していた。キリスト教の教義自体の問題ではなく、当時キリスト教会が強大な権力を持っていたためだ。キリスト教会への信仰の有無によって、天国に行くか地獄に行くかを決めてしまうような社会が成立していた時代であった訳だが、何故そのような事ができたのか?おそらくはキリスト教会の権力が神と直接結びついていた事により、絶対的な権力を持つに至ったとのだろう。

神の啓示であれば人の命すら捧げねばならなかったし、キリスト教会の言うことは、どんなに納得がいかなかったとしても従う他なかった。神の啓示など、目にみえる根拠や客観性など存在しないのに、言いなりになるしかなかった。

しかし、時代は動きだす。ルネサンス時代の宗教改革に続き、第一次、第二次産業革命が続いた。特に産業革命の社会的インパクトは大きかった。神の啓示で全てが決められてきた価値基準が中心の社会では主な産業は農業であったが、産業革命により急速に工業化していく。

すると経済価値を中心とした価値基準が変わっていく。農業は自然が相手である。自然界は人間の力ではコントロールが効かないため、どうしても神頼みになりやすい。一方、工業は生産機械が価値を生み出す源泉であり、かつ人が制御することが可能であった。然るに工業を支配するものは神ではなく人間であり技術であった。このパラダイムシフトは過去にない極めて大きな変化となって現れた。

社会の価値基準が「神と自然とキリスト教会」から「人間と技術と経済」へと大きく変移していった訳だ。この大きな価値基準の変化は、長い年月を経ている。第一次産業革命の始まり1760年から第二次産業革命の終わりとされる1914年の164年間続いてきた。その後、第一次、第二次世界大戦を経て、高度経済成長期(1955年〜1973年)を迎え、その後、世界経済の紆余曲折を経て2023年の現在に至るまでの約270年間、社会の価値基準は「人間と技術と経済」で突っ走って来たように見える。しかし、15年くだい前からだろうか、新たな価値基準の予兆を感じている。具体的には次のような事実である。

 

2011年Googleが、タイの禅僧ティクナット・ハンが、カリフォルニアGoogle本社でマインドフルネスによるリトリートの指導を行う。禅僧のティクナット・ハンがマインドフルネス瞑想の指導をしたことでよく知られている。マインドフルネネス瞑想は、今ここに集中する事で、将来の不安や過去の後悔などから解放され、人間に必用とされる心を瞑想を通じて静かな時間を取り戻していくプロセスでもある。

スティーブ・ジョブズが逝去したのも2011年。彼のiPadに唯一ダウンロードされていた書籍は、インド出身のヨーガ指導者「パラマハンサ・ヨガナンダ」の著書「あるヨギの自叙伝」であった。ヨガナンダ氏の自叙伝は科学では到底説明できない様々な超常現象にも触れている。死を目の前にしたスティーブ・ジョブズが、何を考えていたかを知る由もないが、最後の時間を内省する上で同書以外を必要としなかったのではないかと想像するばかりである。

いずれにせよ、スティーブ・ジョブズが起業前から「東洋哲学」に関心を寄せ、業界トップを走るGoogleが何故マインドフルネスに関心を持ち、社員教育に活かそうとしたのが次の時代を紐解くヒントになるはずだ。Googleの取組を一般的に考えれば、社員のストレス低減による生産性の向上、心の健康、よりよい企業文化の醸成といったことであろうことは想像がつく。ポイントは、西洋科学的アプローチではなく、東洋哲学的アプローチにその解を求めたこと。Googleの次なる成長課題に人間の心の健全性や幸せ(Well-being)をどのように保つかが経営課題として認識されたものと捉えるべきだろう。

 

AppleもGoogleも最先端のテクノロジーを駆使したビジネスを展開し時価総額ランキングのトップ5に入る企業である。「人間と技術と経済」が正義であったはずだが、未来に向けて何かしらの違和感や不安感を覚えたのではないか?持続的成長を手にするために価値を生み出すのはそこに集う人間でしかないといった根本原理に立ち返ったのであれば、人間が価値を出し続ける上で、今見落としている事は何かを考えた結果だったのではないか。それは、人間が生きる目的、あるいは限りある生命との対峙であったかもしれない。

 

論点が拡散しそうなので、やや結論を急ぐが、第一次産業革命以降続いてきた「人間と技術と経済」を価値基準とする時代は、人類の経済活動や核実験によって環境変化が大きくなり、自然のシステムを変えてしまった時代(人新生ともいう)であった。このような時代を乗り越え、新たな時代を象徴する価値基準を為す概念は何か?現段階での仮説を提唱するならば「生命、スピリチュアリティ、幸せ、NatureとArt」のいずれかが際立ってくると思っている。

 

生命(いのち)

地球に存在するありとあらゆる生命に対する畏敬の念を持つこと。

絶対に人が人を殺めてはならない。社会で1人を殺すと罪であるが、戦争で100人殺すと英雄という時代は完全な終焉を迎える。

 

スピリチュアリティ

人は科学では証明できない存在を感じ取る事ができ、その存在は誰もが認める事がある。

例えば「心」は科学的に証明できないが、誰もがそれはあると言う。東洋の思想・哲学を取り入れる国・人・社会が世界に拡がりを見せる。

 

幸せテクノロジー

技術は否応なく進歩することは今後も否めない。但し、人を不幸に貶める技術は淘汰されていく方向に向かう。そもそも幸せは比較するものでも定量化するものでもない。GAFAをはじめ、最先端のテクノロジーの恩恵を受けなくても、幸せな暮らしがあることを社会が認め、多様な人々が多様な幸せを実現するための技術を開発することが善となる。

 

NatureとArt

Nature(地球を含む宇宙)を創造したのは人間ではない。Artは人間が創造することができるモノゴトの全てである。「Natureに畏怖の念を抱くArt」が人や組織が創造するモノゴトになる。

 

極論すれば、次の時代はこれらの思想が根底にある時代になる可能性がある。行き過ぎた経済価値最優先の価値観が世界で横行した結果、アジアやアフリカ諸国では、不当で、過酷な労働を強いられる人々が現れ、児童労働などの問題を引き起こした。今まで誰も見向きもしなかったが、「極悪な労働環境で搾取ステイル企業は問題があるのではないか?」「そこにいる人権を侵害していることを看過していいのか?」といった論調が世界に行き渡ってきた。これこそ過去の価値基準を変える発露であり、パラダイムシフトが起きるエネルギーの源となると見ている。

 

第一次産業革命以降、およそ270年間続いて来た社会的価値基準「人間と技術と経済」は変わる時を迎えた。あえて次の時代の価値基準を表すのであれば「生命と幸せ技術とスピリチュアリティ」としてみた。

地球にも生命がある。生命はいつか終わりを迎える。その限りある生命の恵みを大切にするために、幸せテクノロジーが発達する。人を殺めるために開発される武器の類を製造する国や企業は社会から排斥される日を迎える。最後のスピリチュアリティは、科学では実証できないが、その存在を大切に思う精神性を受け入れる社会へ向かうことを意味している。スピリチュアリティは、宗教であってもいいし、自然への感謝であってもいい。自己の内面に静かに目を向け、「今この時」を大切にしようとする心構えだ。釈迦が解いた哲学、老子の思想、延いては東洋哲学に帰趨すると考える。

冒頭に記した「諸行無常」に近い内容を老子は以下のように残している。

 

現代語訳
心を空っぽにして静けさを保っていると、世の万物がどんどん生み出されてまた元の姿へ戻っていく様が見える。この世の全てはどんどん生み出されては、そうやって根源へ帰っていくものだ。万物はこうして静寂へ還る。これを「本来の姿に戻る」と言う、そしてこれは「万物の法則」とも言う。この法則を理解する事は「明らかなる知恵」と言う。この知恵が無いと何をしても出鱈目になってしまう。この法則を理解すれば、どんな事も包容出来る。全てを包容出来れば、全てを公平に扱う事が出来る。物事を公平に扱う事が出来れば、それは「王者の徳」と呼ばれる。王者の徳はすなわち「天命」である。天命とはすなわち「道」である。「道」を得る事は永遠を得る事であり、そうなれば生涯を通じて迷う事は無いだろう。

 

世界的な価値基準の大きな変化は、5世紀頃(釈迦と老子が生きたとされる時代)に生み出された東洋の思想哲学に著される根源へと向かい、世界の価値基準がリセットされる。というのが本コラムでの主張となった訳だが、果たしてそうなるかどうかは誰にもわからない。只、世界の思想哲学の潮流は東洋に向かっている実感と根拠は多く示されている。これを機に東洋思想・哲学を学び直し、自らの人生に活かすことをおすすめしたい。

 

LONGJING

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